izawanomiya


5月9日、昼前に「伊勢神宮で体調悪くなった所はどこだった?」と伴侶が聞いて来ました。その場面のビジョンが浮かんで、ワークをする必要があると言うのです。

 

過去の巡礼の旅のブログ記事を調べると「伊雑宮(いざわのみや)」でした。伊雑宮は、三重県志摩市磯部町にある神社で、祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)とされます。


伊勢神宮内宮の別宮の一社です。2014年4月、伊雑宮の鳥居をくぐろうとした時に、一瞬、意識を失いそうになったのです。何か見えない物が頭にぶつかり衝撃を与えられた感じでした。


その後、伴侶も寒気を感じて、闇の存在がいると分かりました。正殿と反対側の場所に打ち込まれていた小さな「石」が気になり、光を降ろすと非常に傲慢な闇の存在が出て来ました。

 

「私は神だ。この地を守っている。ここに何しに来た。お前たちの来る場所ではない。立ち去れ!早く立ち去れ!」と伴侶を通じて闇の存在が伝えてきたのです。

 

最終的に、当時、サポートしてくれていた虹の龍神が光を放って闇の存在を光に還してくれました。実は、2014年以前に3回、伊雑宮に参拝していました。


2008年の最初に訪れた際には、参道で足がよろめき転んでしまい、耳たぶが腫れたことを覚えています。正殿の参拝時に、何故か、涙がとめどなく流れた不思議な体験をしました。


振り返ると、個人的に何か深い因縁のある神社だと感じます。遠隔で伊雑宮に光を降ろすと「キリスト教の闇。最終的にカトリックもプロテスタントも同じ」と伴侶が伝えて来ました。

 

伊雑宮の傲慢な闇の存在は、キリスト教の闇であり、重たいプレアデスの闇だと感じました。現場で光を降ろした「石」もヒントでした。神道、仏教の奥底には、キリスト教の闇があります。

 

伊雑宮の近くにある上之郷の石神、倭姫命の遺跡、鸚鵡岩(おうむいわ)にも光を降ろしましたが、特別の変化はありませんでした。伊勢の地は、麻の地であり、レイラインでもあります。

 

光を封じるために伊雑宮などの伊勢神宮の社を置いたのだと感じます。ワーク後にネットで調べると《伊雑宮の復活が意味するところ》に行き着きました。

 

八咫烏によると「伊雑宮の御神体は十字架」というのです。伊雑宮と籠神社にダビデの星があり、ユダヤに関係しているといいます。ダビデの星は、六芒星であり、プレアデスの「統(す)ばる」=「統合」を意味します。

 

自分にとっての伊雑宮は、プレアデスの統合につながります。重たいプレアデスのエネルギーが光に還っている今だからこそ、ワークを通じて伊雑宮の本質を知る機会となりました。