株式会社パソナは、東京都千代田区丸の内に本社を置く株式会社パソナグループの完全子会社としての人材派遣会社です。1972年に大阪市北区に株式会社マンパワーセンターの設立が起源となります。
パソナは、人材派遣業界の中で、リクルートHD、パーソナルHDに次ぐ第3位の売上規模です。2007年に米国進出を機に、小泉内閣の経済閣僚だった竹中平蔵が特別顧問になり、現在は会長に就任しています。
パソナの会社とトップに光を降ろすと「米国派と中国同和派」と伴侶が伝えて来ました。日本を封印する役目である米国派と中国同和派が共存しているようです。
今回の露呈した持続化給付金の委託問題の中核になっているのが「電通」です。日本の深い暗闇の仕組を構築する上で「電通」は欠くことができない重要な存在です。
株式会社電通は、日本最大手、世界規模では5位の広告代理店です。表世界では日本の広告会社ですが、裏世界では、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌などの情報操作の総元締めだと感じます。
電通は、1901年、光永星郎(みつながほしお)によって前身の「日本広告」が設立されました。電通が今のような広告会社になったきっかけを作った一人が里見甫(さとみはじめ)です。
里見甫(1896年-1965年)は、ジャーナリスト、実業家で、三井物産のもとで関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、「阿片王」と呼ばれた人物で、「満鉄(南満州鉄道)」の嘱託でもありました。
満鉄は、初代総裁の後藤新平が基礎を固めた、実質的に中国満州国における工作機関でした。資金集めのためのアヘン政策とデータ収集のための人体人権を実践していた731部隊に繋がっています。
後藤新平の発案で設けられた満鉄調査部は当時の日本が生み出した最高のシンクタンクの一つでした。 実は、電通には、満鉄調査部を中心に満鉄関係者が多かったのです。
電通の母体が満鉄調査部でした。当時の広告業界では、旧電通ビル(東京都中央区銀座)を「第二満鉄ビル」と呼ばれていたことが《電通を創った男たちNo.76》に記されています。
電通は、日本の「満鉄」の存在だと感じます。日本と満州国の深い闇の仕組の中枢としての「満鉄」であり、満鉄の闇の役割を引継いで来たのが「電通」なのです。
電通の会社とトップに光を降ろすと「中国同和派」と伝えられました。今の日本は、軍産複合体の米国派と巨額資金を握った中国同和派に挟まれた構図の深い闇になっていました。
明治維新以降に構築されて来た日本の深い闇の仕組が終焉を迎えています。大きな光に成るための深い闇の経験でした。これから日本が大きな光となり、世界に広がって行くことを願っています。(おわり)