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1週間前から朝起きた時に両手のひらの腫れと指の痛みがありました。2日前には、左手の薬指と小指に強い痛みを覚えました。右手のひらは、房総半島の先で、左手のひらは能登半島の先を意味しています。

 
まず、能登半島について、解除・統合すべき闇がある思い内観すると「北前船」と感じました。北前船とは、江戸時代中期から明治30年代の大阪と北海道を結ぶ商船です。当時の経済ルートだったとも言えます。

 
各港で売買することで、1往復で6千万円から1億円の大金を得たことから「千石船」とも呼ばれました。表には出せない隠された闇の商売となる、武器、麻薬、人身売買もあったと感じています。

 
ネットで見つけた《北前船とは》によると、北前船の前身は「近江商人の交易ルート」だったといいます。近江商人は、北海道の松前藩から入手した商品を大阪で売りさばいていました。

 
能登半島には、輪島港という北前船の港がありました。松前藩は、ワークやヒプノセラピーからアイヌを虐げて不平等交易を行っていたことが分かっています。


北海道開拓時代に、大麻や阿片という麻薬も取り扱っていたと感じます。北前船の起源は、幕府が江戸商人・河村端賢に酒田から江戸まで15万石の天領米を運ぶよう命じたことでした。

 
河村端賢(1618年-1699年)は、三重県出身の政商です。酒田と江戸を結ぶ東廻り航路と酒田と大阪を結ぶ西廻り航路を開きました。当時の日本の航路としては、東廻り、西廻りの他に、江戸と大坂を結ぶ江戸・上方航路がありました。

 
日本を周遊する航路は、日本列島沿岸を闇にして封印する役割だったと感じます。大金で売買される隠された商材ほど、大きな闇のエネルギーとなります。

 
北前船のような闇の商材を積んだ商船が立寄る港は、闇の拠点となります。北前船の輪島港で、光を降ろすワークのポイントを探していくと「輪島市黒島地区」に行き着きました。

 
輪島市黒島地区は、北前船の船主および船員(船頭や水主)の居住地として栄え、江戸後期から明治中期にかけて全盛を極めた集落です。伝統的建築物保存地区とされています。

 
能登半島・輪島市の西南に位置し、海岸段丘上に細長く形成されています。下見板張り、黒瓦が特徴であり、現存する「旧角海家(きゅうかどみけ)住宅」があります。

 
「黒島」「黒瓦」という名称であり、北前船の商売で大金を得た人々が居住した地域なので、当然、重たい闇のエネルギーで覆われていると感じていました。(つづく)