八ヶ岳の麓の清里高原のキリスト教の封印に気づいて、ワークを行った後も、右手の指先のこわばりを感じていました。もしかしたら館山にもキリスト教の闇が置かれたかもしれないと感じました。
2015年4月の房総半島巡礼の旅で、千葉県館山市の安房神社、洲崎神社、不老山能忍寺などで解除ワークを行っていました。その後も幾度か南房総の岬や海岸線にも光を降ろして来ました。
館山×キリスト教でネット検索すると《安房大貫キリスト教会》がヒットしました。そこには、「医療伝道」という初めて目にする言葉と共に、日本の近代医療の先駆けとなる情報が記載されていました。
「安房大貫での宣教は、日本聖公会宣教の初期にあたる1882年(明治15年)に始まりました。当時、横浜港が開港されたことによる伝染病の流行にこの小村も冒されておりました。」
「築地にあった聖パウロ教会から大貫村出身の高橋久平が派遣され、医療を伴った伝道活動が大貫でのキリスト教の始まりでした。1889年(明治22年)には名医と評判が高かった築地聖パウロ教会信徒である伝道師泰呑舟が大貫村に移住し医療伝道を開始しました。」
ようやく日本の医療の闇の仕組の全体像が掴めました。やはり主体はキリスト教だったのです。安房大貫キリスト教会も、清里聖アンデレ教会と同様に、日本聖公会のキリスト教会でした。
日本聖公会は、宗教改革の中から英国で生まれたキリスト教の一教派の聖公会が主体です。聖公会は、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから中道(Via Media)の教会であるとされます。
明治時代は、米国聖公会、英国国教会のS.P.GとC.M.S、カナダ聖公会の4つがアングリカン・コミュニオンとして伝道して来ました。1859年に米国聖公会宣教師チャニング・ウィリアムズが日本聖公会の初代監督になりました。
1887年に日本聖公会が成立されました。また、「医療伝道」とは、医療活動を通し、地域に奉仕しながら伝道することとされます。西洋医学の医療活動をすることでキリスト教を布教していったのです。
過去のワークで「聖路加国際病院」が米国派の中心拠点だと分かっていました。聖路加国際病院は、1901年(明治34年)、米国聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラーが前身の築地病院を買い取り、聖路加病院としたのが始まりでした。(つづく)