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これまでのワークやヒプノセラピーから、北海道開拓が開拓という名の下で純粋なものが封印されたことが分かっていました。日本列島に光を供給する源となる自然豊かな北海道に大きな闇が置かれて来たのです。

 

その1つが、秘密裏に資金稼ぎのための大麻や阿片という麻薬が生産されていたことです。富国強兵、殖産興業の旗の下、明治維新以降の日本は、近代化を進めるために大きな資金が必要でした。

 

日清戦争後、台湾、朝鮮半島、中国の植民地を阿片政策によって統治して、軍資金を得て来ました。台湾、朝鮮半島、中国満州の開拓と共に、麻薬生産、密売をして来たのです。

 

北海道開拓は、日本の植民地統治と同じ手法が用いられたと感じます。犠牲になったのは、台湾人、朝鮮人、中国人など現地の人々でした。北海道での犠牲は、現地人としてのアイヌの人たちです。

 

中国満州での731部隊による人体実験は、北海道のアイヌ民族にも行われていたと感じています。日本の植民地開拓と北海道開拓の違い1つは、キリスト教の存在です。

 

深い闇の主体は、医療伝道、札幌農学校(現在の北海道大学)、お雇い外国人がキーワードになります。これら3つには、いずれもキリスト教が深く関わっています。

 

闇の仕組を構築するには、隠蔽と改竄が必須です。それは、今の日本の政府や行政機関を見れば分かります。ネット検索による情報収集とエネルギーワークによって、北海道開拓の真実を紐解いて行くことにしました。

 

北海道開拓の始まりは、玄関口である函館です。江戸時代の鎖国政策が終わり、近代化のための窓口として、函館、横浜、神戸、長崎、新潟が中心の港とされました。

 

キリスト教の各宗派の宣教師は、5つの港で布教を始めました。函館で注目した場所は、元町の聖ヨハネ教会です。1878年(明治11年)に開所された日本聖公会の北海道教区の教会です。

 

最初に司祭となったのは英国人宣教師のウォルター・デニングです。デニング司祭(1856年-1913年)は、英国聖公会宣教協会に属し、マダガスカルに派遣されました。


1873年(明治6年)に、日本の長崎に赴任し、翌年、北海道に渡り、函館で初めて伝道活動を行いました。1876年(明治9年)アイヌの中心地平取(びらとり)に渡り、アイヌ語を研究したとされます。(つづく)