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「アイヌの父」と呼ばれたアイヌ研究家として、ジョン・バチェラーがいます。ジョン・バチェラー(1854年-1944年)は、イギリス人聖公会宣教師です。

 
イギリス教会宣教会(CMS)に入会し、香港で学んでいる時健康を害して、1877年(明治10年)に、静養のために函館に来ました。函館で伝道している中で、アイヌ民族のことを知り、アイヌ伝道を志します。

 
バチェラーは、1879年(明治12年)に、CMSの信徒伝道者に任命され、函館を拠点にアイヌへの伝道活動を始めます。1879年にアイヌの中心地の一つである日高地方平取を訪問しました。

 
1885年(明治18年)、幌別村(現在の登別市)を訪れ、アイヌへキリスト教教育の他、アイヌ語教育を始めます。1888年(明治21年)、アイヌの金成太郎を校主としてキリスト教教育を行なう私塾の相愛学校を設立します。


1892年(明治25年)、アイヌが無料で施療できるように、アイヌ施療病室を開設します。ウォルター・デニングとジョン・バチェラーの御魂が上がるよう光を降ろしました。

 
「プレアデスの闇」と伝えられました。2人が重たくなっているのが分かります。ウォルター・デニングやジョン・バチェラーのアイヌへの熱心な布教には目を見張るものがあります。


しかし、何か裏があると感じました。実は、北海道には、昔から野生大麻が多いことが知られています。北海道の気候風土は大麻栽培に適しており、大切な収入源として多くのアイヌ民族が携わって来たことがサイトに記されています。

 
「1858(安政5)年、松浦武四郎は現在の八雲町から様似町の一帯でアイヌの人たちが大麻を栽培しているが、場所請負人の利権を脅かすため秘密にされていたと告発する(近世蝦夷人物誌)」という情報(北海道の大麻栽培史)もあります。

 
しかし、アイヌと大麻を結びつけるネット情報は極めて少なく、アイヌ民族が江戸時代から大麻栽培を行って来たことが意図的に伏せられていることが窺えます。

 
また、私塾「相愛学校」を母体とした愛隣学校には、日本基督教会の信徒である片倉景光が関わっていました。片倉景光は、北海道開拓で先人を切り、白石区の地名を残した旧仙台藩家老・白石片倉家第14代当主です。

 
北海道開拓の片倉家と諏訪の片倉財閥は、アイヌとも深く関わっていたと感じます。北海道開拓は、和人も異人も、裏でアイヌ民族を利用して資金稼ぎをしていたことが垣間見えます。(つづく)