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北海道開拓における主要なお雇い外国人についてワークを行いました。ホーレス・ケプロンは、米国の軍人政治家です。1871年(明治4年)、渡米していた黒田清隆に懇願され、職を辞し、同年7月訪日して、開拓使御雇教師兼開拓顧問となります。

 

ケプロンは、札幌農学校開学までのお膳立てをしました。仕事は多岐に渡り、北海道の道路建設鉱業工業農業水産業など、開拓のほぼ全領域に渡っています。

 

札幌・大通公園には、黒田清隆の銅像と共にホーレス・ケプロンの銅像があり、過去に光を降ろしていました。ウィリアム・スミス・クラークは、「少年よ大志を抱け」の名言で有名なクラーク博士です。

 

クラークは、米国人の教育者です。化学植物学動物学の教師です。マサチューセッツ農科大学学長で、農学教育のリーダーでもあります。1876年(明治9年)に札幌農学校(北海道大学)を開校して、初代教頭になります


同大学では専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えました。学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じ、のちに学生たちはキリスト教の信仰に入る決心をしたといいます。

 

実質的に大学でキリスト教の布教をしていたと感じます。クラークの御魂が上がるように光を降ろすと「天皇派」と伴侶が伝えて来ました。純粋さを持っていたようです。

 

ベンジャミン・スミス・ライマンは、米国の鉱山学者です。1872年(明治5年)に北海道開拓使の招待で来日し、1876年(明治9年)まで北海道の地質調査に従事しました。

 

後に工部省の依頼で1876年から1879年の間、日本各地の石炭・石油・地質調査にあたりました。ライマンの御魂が上がるよう光を降ろすと「地底人。純粋な」と伝えられました。

 

ウィリアム・ホイーラーは、米国の土木技術者であり、教育者です。マサチューセッツ農科大学のクラークの教え子で、札幌農学校で数学土木工学、英語を教えるために来日しました。


開拓使に科学的な助言をするため、小さな気象観測所を設け、考えられる交通ルートについて調べ、運河の建設を監督しました。ホイーラーに光を降ろすと「天皇派」と伝えられました。

 

札幌農学校を設立準備をした ケプロンやクラークなどの初期の米国からのお雇い外国人は、純粋な闇の役割だったと感じます。闇は、軽いものから重たいものに変わって行きます。

 

米国マサチューセッツ州の入植の初期も同じだったと感じます。北海道開拓の初期は、主として米国人の専門家によって純粋な闇が敷かれ、次第に金とエゴによって深い闇になっていったのです。(つづく)