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陸軍中野学校の関係者として、設立者の岩畔豪雄(いわくろひでお)と秋草俊、教科書の手本だった明石元二郎、そして北朝鮮を作ったとされる畑中理を選び、ワークを行いました。


岩畔豪雄(1897年-1970年)のウィキペディアを読むと、1944年、三井三菱大倉財閥の出資で満州に軍需国策会社・昭和通商を設立しています。武器の売買に伴う営業活動と諜報活動を行っていました。

 
昭和通商は、武器と同時にアヘンも手掛けていました。当時は、国家ぐるみで軍資金を稼ぐために武器、麻薬の売買という反社活動をしていたことが垣間見えます。岩畔豪雄の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「天皇派」と伴侶が伝えて来ました。


秋草俊(1894年-1949年)は、陸軍中野学校の初代校長で、ハルピン特務機関の補佐官として諜報活動で活躍し、対ソ諜報の第一人者となりました。敗戦後は、逃亡を勧める部下の進言を断り、ソ連軍に投降、連行され抑留を経験しました。

 
1949年(昭和24年)、モスクワウラジーミル監獄で死去したとされます。秋草俊のウィキペディアの画像を観た時、大学時代の同期の友人だと直感しました。


今世で出会った縁ある人は、過去世の時の顔と似ているので、顔写真を観れば分かることが多いです。秋草俊は、どうやら満鉄調査部と連携して活動していたようと思います。


工作機関としての満鉄の設立と活動に縁のある私の過去世を重ね合わせると納得します。秋草俊の御魂が上がるよう光を降ろすと「謎の人」と伝えられました。旧ソ連と繋がっていたと私は感じました。


明石元二郎(1864年-1919年)のウィキペディアを読むと、ロシア公使館に着任後、日英同盟に基づいた情報協力により、イギリス秘密情報部のスパイと友人になります。

 
それが起点でロシア軍司令部の信頼を得ることになり、ロシア軍の情報を英国と日本にもたらしています。明石元二郎は、英国とロシアに繋がっていたと感じます。

 
明石元二郎の御魂を上がるよう光を降ろすと「プレアデスの闇」と伝えられました。ウィキペディアによれば、畑中理(金策:1903年-1951年)は、朝鮮戦争後に金日成によって暗殺された疑いがあるとされます。

 
畑中理の御魂が上がるよう光を降ろすと「一生懸命頑張った人」と伴侶が伝えて来ました。やはり暗殺されたと感じます。陸軍中野学校は、自分の過去世が深く関わっていたことが過去のワークで分かっていました。

 
陸軍中野学校の卒業生の御魂が上がるよう意図して跡地に光を降ろした時に「上がって行った。とても大変だったみたい」と伝えられていました。陸軍中野学校の人たちは、工作員として失敗が命取りになる重い役割を担っていました。

 
日本の真実の光を隠して暗闇にするために、自分を隠し、北朝鮮というベールに包まれた国家を作って来たと感じます。過去に、隠されて来た真実を少しでも明らかにすることが恩返しになると感じます。(つづく)