キリスト教について調べていて、「按手(あんしゅ)」という言葉が気になっていました。「按手」とは、キリスト教で、手を人の頭に置いて、聖霊の力が与えられるように祈ることです。
いわゆる、キリスト教の儀式です。ウィキペディアによれば、「按手」は、プロテスタントの「按手の祈り」、カトリック教会の「叙階の秘跡」、正教会の「神品機密」など様々な儀式に用いられます。
私の場合、「按手」とは、子供の頭を撫でるイメージがあり、嫌悪感に近い違和感を覚えます。何故、違和感を覚えるのか、内観すると、「封印」に繋がっていると感じます。
調べて見ると、漢字の「按」は、「おさ(える)」という訓読みで、「上からおさえる」「なでさする」「なでる」「もむ」という意味があります。「按手」は、手で上からおさえるという封印を意味していると感じます。
子供たちは、大きな魂の光を持っています。暗闇の世界を創るためには、子供たちの光を封印する必要があります。そのために、キリスト教などの宗教が生まれ、幼児教育や学校教育の仕組が構築されて来ました。
魂の光は、脳の中心である松果体の部位に宿ります。子供の松果体には大きな光が宿っており、その光を放出させないで封じ込めておく必要があったと思います。
「癒し」という名の下に手を人の頭に置いて祈る儀式を通じて、逆に人の魂の光を封印していたと感じます。現実的には、人の手からは、光も闇も放出されます。
その人のエネルギーと意図によって変わります。過去のヒプノセラピーでは、手を使って、十勝の精霊を封じていたと伝えられました。手は光にも闇にも使えるのです。
3ヶ月程前から朝起きた時に、両手の指先の浮腫みやこわばりの症状が続いていました。「按手」に関わるカルマの解消と感じました。過去世の自分が按手という光に見せかけた闇の儀式に関わっていたと思います。
それ故に、今の自分が子供の頭を撫でることに抵抗があるのです。子供を封じていた過去世の自分が統合するよう光を降ろすと「いいです。その通り」と伴侶が伝えて来ました。
キリスト教は、子供たちの松果体の接種を目的とした深い闇に繋がっていると感じます。世界的に年間800万人以上の児童が失踪している現実問題が存在します。
これまでのワークでは、児童失踪に関わる暗黒集団は、子供たちのサポートを看板にして金儲けをしている場合が多いです。子供たちをエゴの生贄にする闇の仕組を終わらせる時が来ています。