日本では明治時代にハンセン病患者の救済が行われ、療養所が建てられました。1889年にテストウィード神父が静岡県御殿場市神山に神山復生病院を設立したのが最初の療養所であり、その後各地に私立療養所が建てられました。
テストウィード神父である、ジェルマン・レジェ・テストウィード(1849年-1891年)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師です。1873年(明治6年)に来日し、西関東及び東海地方の宣教に従事しました。
パリ外国宣教会は、フランスのパリに本部を置くカトリック教会の男子の宣教会です。当初より東アジアの宣教を担当し、明治以降の日本のカトリック教会の再建に携わり、長崎の大浦天主堂の完成に関わりました。
御殿場市神山には、1944年(昭和19年)に傷痍軍人駿河療養所として設立された国立ハンセン病療養所(国立療養所)もあります。どうして御殿場市神山に2つのハンセン病療養所が置かれたのか不可解でした。
御殿場市神山の国立ハンセン病療養所の設立に関係したのは、宮崎松記(1900年-1972年)でした。宮崎松記は、国立療養所菊池恵楓園の園長を勤め、インドで救らいセンターを作りました。ハンセン病を研究し、ハンセン病患者の治療をした医学者です。
宮崎松記がハンセン病に興味をもったのは、ハンナ・リデルの熊本のハンセン病病院である回春病院を訪れたことでした。ハンナ・リデル(1855年-1932年)は、日本のハンセン病の歴史に大きな影響を与えた英国聖公会宣教協会(CMS)の宣教師です。
日本のハンセン病療養所の歴史に、キリスト教が深く関わって来たことが分かります。らい菌を発見したハンセン、神山復生病院設立のテストウィード、国立ハンセン病療養所設立に関わった宮崎松記、ハンナ・リデルに対してワークを行いました。
ハンセンの御魂が上がるよう光を降ろすと「プレアデスの闇。サタン系」と伴侶が伝えて来ました。テストウィードに光を降ろすと「プレアデスの闇」と伝えられました。
宮崎松記に光を降ろすと「恨みのエネルギーで気を病んだ」と伴侶が伝えて来ました。宮崎松記のウィキペディアには、本妙寺事件、龍田寮事件など幾つかのトラブルがあったことが記されています。
ハンナ・リデルの御魂が上がるよう光を降ろすと「女じゃなくて中身は男。猟奇的」と伝えられました。これらのことから、ハンセン病療養所で、何らかの隠された闇が行われていたと推測します。
キリスト教は、弱者を看板にする同和の手法を用いて来ました。ハンセン病という弱者を表看板にして公金や寄付金を入手して、裏では医療のための人体実験とデータ収集していたのだと感じます。
五芒星と六芒星を組合わせた深い闇です。ネットで調べると、神山復生病院と国立ハンセン病療養所が作られた御殿場市神山は、箱根山と愛鷹山の間にある湧水の場所でした。神山の南には、トヨタのスマートシティ構想の場所があります。
以前、トヨタ・スマートシティ構想の場所に光を降ろした時に「光の場所の封印」と伝えられました。神山復生病院と国立ハンセン病療養所が御殿場市神山に置かれたのは、光の土地を封じるためだったと感じます。
キリスト教は、地球を深い闇にするための基盤となる宗教でした。今はもう闇の時代が終わり、光の時代に向かう時に来ています。キリスト教の分離を中心とした深い闇が統合され、地球に光が広がって行くことを願っています。(おわり)