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蘭方医の関寛斎と息子の関又一についてネットで調べていくと《ピアソン夫妻の十勝伝道》のサイトがありました。そこには、十勝監獄伝道を中心に、関寛斎、十勝監獄の典獄・黒木鯤太郎、キリスト教宣教師のピアソン夫妻、坂本龍馬の甥・坂本直寛、板垣退助の交流関係が図に示されていました。

 

黒木鯤太郎は、大分佐伯藩から慶應義塾を経て陸軍に入省します。西南戦争従軍後、陸軍監獄長を歴任して、1903(明治36)に、十勝監獄が設置され、初代典獄(所長)として帯広に赴任しました。黒木鯤太郎は、若い頃にクリスチャンの洗礼を受けていました。

 

しかし、十勝監獄と、その次の赴任地の青森監獄において、数百人の獄死者を出している歴史的事実があります。《十勝監獄》によれば、監獄の囚人を虐待して死んでいく姿を見て何も思わず、むしろ喜ぶようなサタニズム(悪魔崇拝)的な態度だったといいます。

 

黒木鯤太郎は、関寛斎と地域の名士として親交があり、黒木の娘と関又一が結婚しており、親戚関係でもありました。また、当時、米国から来日し、キリスト教伝道のために北海道各地を巡回していた宣教師のピアソン夫妻も何度も十勝監獄を訪問しています。

 

そして、坂本直寛もクリスチャンとして十勝監獄を何度も訪れていました。坂本直寛は、自由民権思想にも共鳴して、板垣退助とのつながりがあったとされます。私は、ピアソン夫妻に目を向けました。

 

ピアソン夫妻は、夫のジョージ・ペック・ピアソン(1861-1939)と妻のアイダ・ゲップ・ピアソン(1862-1937年)です。夫妻は、明治後期から昭和初期にかけて北海道内を中心として農村でキリスト教の福音伝道に尽力しました。

 

夫のジョージは、「ピアソン聖書」と呼ばれる聖書「略註旧約聖書」の編纂、妻のアイダは、旭川や北見の廃娼運動で実績を残しました。ウィキペディアには、妻のアイダがジョン・バチェラーと共に伝道活動をしていたと記載されています。

 

アイヌ民族が利用された暗闇の過去》では、アイヌの父と呼ばれるバチェラーが、その裏側では、大麻や医療の実験やデータ収集にアイヌ民族を利用していた可能性が高いことを記しています。

 

20196月の十勝巡礼の旅のワークで、十勝監獄窯跡が十勝の地下十字という封印の中心でした。十勝監獄窯跡は、レンガを焼いていたとされますが、火によって多くのアイヌの人々が虐殺されたと分かりました。

 

ピアソン夫妻の御魂が上がるよう光を降ろすと「騙してきた」と伴侶が伝えて来ました。キリスト教伝道の裏で、闇の仕事をしてきたことが示唆されます。次に、黒木鯤太郎の御魂が上がるよう光を降ろすと「金と引き換えに殺していた。罪人を実験に金を得ていた」と伝えられました。

 

やはり人命の犠牲と金が深く関わっていたようです。医者としての関寛斎、十勝国牧場計画の実践者・関又一、十勝監獄の所長でクリスチャンの黒木鯤太郎、キリスト教宣教師のピアソン夫妻が、裏の繋がりが浮かび上がります。

 

十勝は、素晴らしい自然のある大事な光の場所です。関わった人たちは、大きな光を封じるための闇の役割だったと感じます。真実の隠蔽という深い暗闇に光が入り、十勝の地が本来の輝く光の場所に戻ることを願っています。(おわり)