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八咫烏やスサノオ関連のワークで、北海道八雲町が気になっていました。「八雲」は、八坂神社、祇園神社、八雲神社など生贄に関係した名前だと分かっていました。生贄は、自然の精霊の光を封印するための大きな闇でもあると感じていました。

 

810日、八雲町の八雲神社のワークを行うことにしました。八雲神社は、1878(明治11)、旧尾張藩主・徳川慶勝が旧藩士授産のために八雲に移住させた士族の移住者たちが氏神としたのが始まりです。

 

1879(明治12)に故郷の熱田神宮神符と尾張徳川家歴代の神霊を板蔵の2階に祀り、後に八雲小学校の一室に移し、産土神として崇拝しました。現在の八雲神社の祭神は、熱田大神、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊などとされます。

 

八雲神社に光を降ろすと「いいです。薬と松」と伴侶が伝えて来ました。「薬」とは麻薬、「松」とは松果体を意味しています。麻薬は、大麻であり、松果体とは子供の魂の光を摂取する生贄を示唆しています。

 

やはり自然豊かな光の場所である八雲の地を封印するために大きな闇を置いたのだと感じます。また、伴侶は八雲町と縁があると伝えて来ました。親戚が居住していたことがあり、本人も幾度か訪れたことがあるといいます。

 

闇が深いと感じる八雲町には、まだ何か解除・統合すべき闇があると感じて、八雲町についてネットで情報収集することにしました。八雲町は、道南の渡島半島の北部にあり、函館市と室蘭市の中間に位置する町です。

 

渡島半島を横断して、東は太平洋の噴火湾、西は日本海に面しています。ウィキペディアによると、八雲町の町名は、須佐之男命(スサノオ)が読んだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」に由来しています。

 

八雲の地の開拓を始めた尾張徳川家17代当主の徳川慶勝が豊かで平和な理想郷建設を願って名付けたといいます。旧尾張藩の藩主・徳川慶勝が北海道開拓と併せて旧臣の生計を確保するために、総人員82名を移住させたことから開拓が始まりました。

 

徳川慶勝のウィキペディアを読むと「青松葉事件」が記載されていました。青松葉事件は、1868(慶応4)1月、尾張藩で発生した佐幕派の弾圧事件です。佐幕派とは、幕府を補佐する派閥で、幕府を倒す派閥の討幕派と対比されます。

 

対象者は、重臣から一般藩士までに及び、斬首14名、処罰20名にのぼりました。弾圧の理由は、それまで京都で大政奉還後の政治的処理を行っていた徳川慶勝が「姦徒誅戮(かんとちゅうりく:悪人の一味を殺す)」の勅命を受けて、佐幕派に対する弾圧命令が出されたからでした。

 

勅命が下った背景については諸説ありますが、尾張藩の中でも佐幕派(幕府側)と討幕派(新政府側)の対立があり、討幕派が岩倉具視と結託して、徳川慶勝に圧力をかけた可能性が高いとされています。

 

徳川慶勝たちは、青松葉事件の10年後に開拓のために八雲に移住しています。問答無用で斬首、処罰された旧尾張藩の家臣たちは、怨念や悲しみを抱いていたと思います。この犠牲になった人たちの大きな闇が八雲の地を暗闇にする始まりだったと感じます。(つづく)