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八雲町の解除ポイントをネットで探していくと落部(おとしべ)八幡宮を紹介している《二海郡 落部八幡宮》が目につきました。落部八幡宮は、北海道二海郡落部にある神社で、主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)です。

 

当社の由緒は、17643月、相木仁三右衛門ほかニ戸の渡来とともに、知行主新井田家の内神であった八幡宮を祭ったことが始まり、1776年に落部を本村としたとき、これを氏神に定めたといいます。境内には亀塚、稲荷社や猿田彦が祀られた社があります。

 

また、「御所の松」がありました。1900(明治33)に落部アイヌの長である辨開凧次郎(べんかいたこじろう)が皇太子殿下(大正天皇)のご成婚を祝い、子熊2頭を献上した記念に拝受した「御所の松」のうちの1本です。

 

辨開凧次郎(1847-1924)は、アイヌ民族として初めて東宮御所に参内した人物で、アイヌの家畜商、後に許可を受けて獣医を兼業しました。アイヌ語によるアイヌ名は「エカシバ(偉大で何でもできる)」です。八雲町にあった部落のコタンに生まれ、20歳で部落コタンのリーダーとなります。

 

1902(明治35)1月に日本陸軍が八甲田山で訓練中に遭難して199名が死亡した八甲田山雪中行軍遭難事件では、他のアイヌ数名を率いて救助捜索隊として活躍しました。幾つもの美談が残る辨開凧次郎の姿を画像で観るとアイヌの純粋さがないと感じました。

 

落部八幡宮が開かれるよう意図して光を降ろすと「いいです。裏インド」と伴侶が伝えて来ました。落部八幡宮の落部川河口近くの光の場所であり、光を封じるために裏インドという大きな闇のエネルギーが置かれたのです。

 

辨開凧次郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「プレアデスの闇。自分を大きく見せる。謀り」と伝えられました。辨開凧次郎は、プレアデスの闇に操られてエゴを大きくし、落部コタンのリーダーとしてアイヌの人たちにエゴの闇を広げていったと感じます。

 

奇岩雲石も気になりました。奇岩雲石は、八雲町熊石雲石町にある奇岩です。北海道が蝦夷地の時代にアイヌと松前藩の抗争があり、アイヌに追い詰められた松前藩が岩陰に身を隠した時、雷鳴が轟いて、黒雲が巻き起こり、アイヌは退散して、松前藩は九死に一生を得たと伝えられます。

 

奇岩雲石に光を降ろすと「入りました。伝説は嘘」と伴侶が伝えて来ました。記紀や昔の記録には、ヤマト王権や幕府の先住民との戦いの歴史において、しばしば真実を歪めて嘘を記した記録が残されます。常に和人を正当化させるために美談や奇跡を混ぜ込んだ勧善懲悪の伝説にするためです。

 

過去のヒプノセラピーの《重たいプレアデスのエネルギーが光に還る》では、松前藩がアイヌと不平等貿易を行って暴利を貪り、アイヌを虐げてきたことが伝えられています。北海道の自然と共存していたアイヌの光を封じて暗闇にするためでした。

 

アイヌの統合がプレアデスの統合につながる》には、アイヌ民族を戦わせるよう闇の仕事をして来たと伝えられました。アイヌを分離して、戦いを起こすことで闇を広げていったのです。こうしたアイヌ民族が闇にされた真実は、過去から今でも隠され続けています。(つづく)