野幌森林公園の地を封じるポイントをネットで探していきました。まず、選んだのが信濃神社です。信濃神社は、北海道札幌市厚別区厚別中央にある神社で、主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。
境内社には、素戔嗚命(すさのおのみこと)を祀る牛頭天王社があります。1897年(明治30年)、河西由造らが長野の諏訪大社から分霊を受けて祠を建てました。一帯は、信濃国からの移住者によって開拓された土地であり、信濃開墾と呼ばれていたといいます。
信濃神社に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。数日後、「野幌、大麻の地名が夢に出てきた」と伴侶が話してきました。野幌(のっぽろ)、大麻(おおあさ)は、いずれも江別市(えべつし)にある地名で、伴侶が昔、両親と住んでいた家があった場所でした。
伴侶が昔、住んでいた2つの家の場所に光をおろし、さらに野幌と大麻で解除すべきポイントをネットで探していきました。《江別キリスト村記念碑》のサイトを見つけました。江別キリスト村記念碑は、西村久蔵によって東野幌の地で開墾された村の記念碑です。
西村久蔵(1898年-1953年)は、キリスト教の熱心な信者であり、日本キリスト教会札幌北一条教会の長老を務め、元北海道議会議員、元札幌商業高校教諭でもありました。洋菓子店「ニシムラ」の経営が成功した後、江別キリスト村の開拓を始めました。
泥炭地だったことで開墾に苦労して、入植わずか3年で病死してしまいます。江別キリスト村記念碑の画像を見ると、産業廃棄物処理場という広大な中に十字架のついた塀の碑があるだけでした。
江別キリスト村記念碑に光を降ろすと「野幌森林公園を封じるためのもの」と伴侶が伝えて来ました。西村久蔵の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「プレアデスの闇」と伝えられました。私もくしゃみが出て「分離の闇」だと感じました。
次に、榎本公園が気になりました。榎本公園は、江別市工栄町にある公園です。公園の名称は、かつて榎本武揚(えのもとたけあき)が開拓使から払下げを受けて農場経営を行わせた土地であることに由来します。
榎本公園一帯はかつて、豊平川が石狩川へと合流する水運の要衝であり、「津石狩(ついしかり:後の対雁)」と呼ばれた江別発祥の地でもあります。榎本公園の地は、《対雁アイヌの人々》から樺太アイヌの強制移住地だったと分かりました。
《ドイツ人医師・ベルツの樺太アイヌ調査》にあるように、樺太アイヌの人たちが人体実験による犠牲になった場所だと思いました。コレラや天然痘の流行によって7年間に400人以上のアイヌの人たちが亡くなったとされます。
感染症が流行した理由は分かりませんが、伏せられてきた可能性が大きいと感じます。榎本公園一帯が開かれるよう意図して光を降ろすと「亡くなったアイヌの人たちの魂が上がっていった」と伴侶が伝えて来ました。(つづく)