7月27日、朝起きると黄色の自動車のキーを失くして困っているような夢を見たのを覚えていました。夢のポイントは「黄色」であり、解除のサインだと感じました。黄色の闇は、隠す闇であり、青色の闇、赤色の闇の中でも一番手ごわい闇です。
黄色の闇のワークの対象は「慶應義塾大学」と直感しました。慶大のロゴマークが黄色のペンのエックス十字(聖アンデレ十字)であることを知っていました。28日に内閣総理大臣の辞意を表明した安倍晋三首相が通院している病院が慶應大学病院でもありました。
過去、慶應病院については、新型コロナ集団感染の際にワークで光を降ろしていました。慶應義塾大学は、1920年に設置された東京都港区三田に本部を置く私立大学です。中津藩士の福澤諭吉が江戸築地鉄砲洲(東京都中央区明石)の中津藩中屋敷に1858年に開校した蘭学塾が起源です。
ウィキペディアを読んでいくと、慶大は各地の旧私塾の流れを汲み、故郷の「韮山塾」とも関係していて、自分の過去世にも縁が深いと感じました。また、大日本帝国海軍との間に深い関係があり、1944年に軍司令部が横浜市港北区の日吉校舎に入っていました。
後に海軍省・航空本部・艦政本部の地下壕が構築され、日吉は実質的な海軍の中枢となり、太平洋戦争(大東亜戦争)における、台湾沖航空戦、レイテ沖海戦、戦艦大和の出撃命令などは、全てこの日吉台地下壕から発せられました。
蘭学のオランダは赤色と黄色から成る「オレンジ色」がシンボルカラーで、中国共産党の成立に深く関わる黄色の闇の役割でした。大東亜戦争も、過去のワークから資金稼ぎの目的が隠されていたことが分かっていました。
福澤諭吉(1835年-1901年)は、大阪出身の蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者です。慶応義塾大学の創設者の他に、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、北里柴三郎の伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)などの創設にも尽力しました。
福澤氏の祖は、信濃国更科郡村上村あるいは同国諏訪郡福澤村を発祥としていることから、同和の色を有していると感じました。最初に、創設者の福澤諭吉の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「スパイ。米国派と同和派のスパイ」と伴侶が伝えて来ました。
蘭学に深く通じ、渡米、渡欧もしている経歴からも米国派と同和派の工作員の役割には頷けます。福澤諭吉は、1859年、日米修好通商条約の批准交換のために使節団が米軍艦・ポーハタン号で渡米することになり、その護衛としての咸臨丸の艦長となって米国に立ちます。
1861年、文久遣欧使節を英艦・オーディン号で欧州各国へ派遣することとなり、翌年、福澤諭吉も翻訳方として同行しています。さらに、慶大発祥の地の東京都中央区明石の地を調べると、現在の聖路加国際病院の場所だったのです。(つづく)