1200px-氷川神社 門客人神社


橋下徹弁護士の出生地と過去の居住地は《「最も危険な政治家」橋下徹研究(上原善広著)》によると、東京都渋谷区幡ヶ谷と大阪府八尾市とされます。この2つの場所に同和の闇の解除・統合のヒントがあると感じて、ネットで調べていきました。

 

まず、出生地とされる東京都渋谷区幡ヶ谷の「幡ヶ谷(はたがや)」の地名から「秦氏」と直感しました。八幡神社の名前は「秦氏」に由来すると分かっていたからです。秦氏のウィキペディアを調べると、八幡山や幡ヶ谷の地名も秦氏の拠点だったとされるとの記述があります。

 

秦氏はネストリウス派キリスト教(景経)を日本に伝え、松尾大社、伏見稲荷大社、広隆寺、梅宮神社など数々の寺社を作ったとされる渡来人です。秦氏の役割の核心は、魂の光を封印する松果体摂取という闇の仕組を日本に広めたと感じています。

 

秦氏の先祖は徐福の一団だとも思っています。徐福は、秦の始皇帝の命を受けて、不老長寿の霊薬を探しに3000人の男女を船団で引連れて、南は九州から北は青森まで日本の各地に立寄ったという徐福伝説が残っています。この「不老長寿の霊薬」こそが、日本の先住民の松果体だったのです。

 

こうして日本の神社や寺院にて、松果体摂取という隠された闇の仕組が構築されて来ました。幡ヶ谷のウィキペディアを読むと「幡ヶ谷は、村の氏神である氷川神社と、そこから延びる国分寺道・中幡ヶ谷道周辺に集落が形成されたのが村の始まりである」と記述されていました。

 

ワークの対象候補の1つとして「幡ヶ谷氷川神社」を選びました。幡ヶ谷氷川神社は、東京都渋谷区本町にあり、かつては旧幡ヶ谷村の総鎮守、現在では幡ヶ谷地域の氏神様として尊崇されている神社です。主祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、神社の起源は古く、幡ヶ谷地域に住み着いた原住民が氷川神社から分祀されたものと推測されます。

 

氷川神社(大宮氷川神社)は、埼玉県さいたまし大宮区にある神社で、主祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)です。東京都、埼玉県周辺に約280社ある氷川神社の総本社です。

 

大宮氷川神社のウィキペディアを読むと「門客人(もんきゃくじん)神社」が摂社としてありました。門客人神社は、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが客人神として祀られています。このアラハバキ社は大宮氷川神社の地主神とされます。

 

これまでのワークから素戔嗚尊は、牛頭天王と併せて、松果体摂取から派生した生贄に関係していることが分かっていました。幡ヶ谷氷川神社と大宮氷川神社に、それぞれ光を降ろすと「いいです。光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。

 

大宮氷川神社の摂社の門客人神社に光を降ろすと「いいです。先住民が沢山取れますようにと松を取るために祈願した神社」と伝えられました。松果体摂取は、人間の松果体だけではなく、動物の松果体もあると感じています。

 

ウィキペディアによると、アバハラキの姿として、「東日流外三郡誌」の中で「遮光器土偶」の絵が示されているといいます。過去のワークから「遮光器土偶」は、分離の働きをする闇のエネルギーを駆使するアンドロメダの宇宙人の姿であることが分かっています。

 

このアンドロメダの宇宙人を模した遮光器土偶のアバハラキが「アヌンナキ」だと直感しました。パレスチナ自治区の都市ヘブロンにある宗教史跡マクペラの洞穴のワークでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖とされるアブラハムの姿をしたアヌンナキが6体程、光に還っていきました。

 

レンブラントの絵画作品「アブラハムとイクサ」には、神にひとり子イクサを捧げようとするアブラハムと、それを制止する天使が描かれています。この描写が幼い子供の松果体摂取の原点だと感じます。「原始キリスト教はアヌンナキが人間の松果体に宿る魂の光を取っていたのを人間が真似たのが始まり」と伴侶が話して来ました。

 

門客人神社(アバハラキ神社)は、先住民がアヌンナキと神として祀り、松果体の沢山取れますようにと祈願した神社だと感じます。原始キリスト教を起源とする松果体摂取という隠された闇の仕組が、徐福や秦氏などの渡来人によって、寺社の構築と共に日本に広められていったのです。(つづく)