
出雲国や出雲族についてネットで調べていくと《古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて》のサイトを見つけました。今までに見たことのない衝撃的な内容でした。最初の渡来人の徐福と大国主命の関係や出雲族とは何かがが分かってきました。
「紀元前三世紀末、徐福は大勢の海童たちを引き連れて
最初島根県の太田市五十猛海岸に上陸し 和名を火明かり(ほあかり)と名乗ります。自分が出雲王国の王、つまり和国の王となるつもりでやってきた徐福は 当時の出雲王国の主王と副王を亡き者にします。」
「当時の出雲の
主王の八千矛(やちほこ:役職名は大名持で 記紀では大国主とか大黒とか大名持、大汝と書かれた)と副王の八重波津身 (やえなつみ:役職名は少彦で記紀では事代主とか少名彦名と書かれた)をホヒや海童たちに命じて誘拐幽閉して殺害しました。」
渡来人の徐福の和名である「火明かり」は、「天火明命(あめのほあかり)」という天孫族の神名をつけられました。大国主命と事代主命(ことしろぬしのみこと)や少彦名命(すくなひこのみこと)の神名とされる出雲王国の主王と副王を殺害したというのです。
このことは、2014年11月の島根巡礼の旅で「神魂神社(かもすじんじゃ)」を訪れた際の出来事によって裏付けられます。最初に、出雲の地に降りたと言われている天穂日命(あまつひほのみこと)が大国主命に対して許しを願っていました。
「存在自体が申し訳ない」と伝えてきて来たのです。私たちの巡礼の旅は、殆どの場合、大国主命が同行していました。同行していた大国主命に対して、神魂神社を創建したと伝えられる天穂日命が許しを請いました。
ウィキペディアによると、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天穂日命、天道根命(あまのみちねのみこと)などの子孫と合わせて、天火明命の子孫を「天孫族」と称しています。先住民のコミュニティであった出雲王国は、渡来人の徐福一団に支配され征服されたのです。
この徐福一団の渡来人の襲撃と思われる出雲での出来事がヒプノセラピーセッション記事《魂に刻まれた真実が蘇る》で伝えられています。古代出雲王朝のサイトでは、その後、先住民の出雲族と渡来人徐福の天孫族の子孫は、大和の地(奈良県)に移住しました。
大和入りした徐福の孫の天の村雲たち秦国からの渡来グループはヤマトで強大な勢力となります。出雲王族の2人は ともに天の村雲が初代大和大王になるのを助けて支持したといいます。また、古代出雲王朝のサイトによると、諏訪湖地方を開発したのも出雲族でした。
諏訪は、出雲王家の建御名方(たてみなかた)が開拓したといいます。これらのことから、大和に移住した渡来人徐福の天孫族と先住民の出雲族が、物部氏のルーツではないかと感じます。渡来人の配下の先住民の共同体が形成されたのだと思います。(つづく)