
「因幡の白兎」の日本神話に由来する神社が白兎(はくと)神社です。白兎神社は、鳥取県鳥取市の白兎海岸近くにある神社で、祭神は白兔神とされます。白兎神社は、徐福系渡来人が先住民のやまとびとの松果体の収穫を行うために置かれた神社だと感じます。
白兎神社が開かれるよう意図して光を降ろすと「昔、松をやっていた」と伴侶が伝えて来ました。先住民のやまとびとは、徐福系渡来人に襲撃されて、渡来人の配下になり、松果体の収穫と摂取をしていました。神となっていたのがアヌンナキです。
グーグルマップで白兎神社の周辺を観ていくと「松の聖母学園」という障害者施設がありました。どうして「松」という字を付けたのか不思議でした。白兎神社のウィキペディアを読むと、「戦乱焼失後、白兎神の御神体は現白兎神社の南方10kmの山上に位置する松上神社に遷座されていた」と記されていました。
これも「松」という字が入っています。松上神社は、鳥取県鳥取市松上にある約1700年の歴史がある神社で、祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)とされます。松上神社は、山中にあり、周辺に群生するサカキ樹林は、日本で唯一の国の天然記念物に指定されています。
松上神社に光を降ろすと「いいと思います。ここでも松をやっていた」と伝えられました。松の聖母学園の「松」は、松上神社の「松」と同じく、昔からの地名から来ていると感じました。白兎神社、松上神社がある一帯で松果体摂取が行われていたのです。
因幡の白兎のウィキペディアには、「八頭町には、3つの白兎神社がある」と記されていました。八頭町福本にある白兎神社(福本白兎神社)、八頭町池田にある白兎神社(池田神社)、八頭町土師百井(はじももい)にある白兎神社(土師百井神社)の3つです。
グーグルマップで確認すると、八頭町の3つの白兎神社は、池田神社を中心に半径1km圏内に位置していました。八頭町の3つの白兎神社を代表して、福本白兎神社に光を降ろすと「ここも松の所」と伴侶が伝えて来ました。
やはり八頭町一帯は、古代、先住民のやまとびとの松果体摂取が行われていた場所でした。やまとびとの松果体を収穫することは、やまとびとを殺すことであり、魂の光を封じることです。渡来人による先住民の松果体摂取は日本の光を封印することになるのです。
福本白兎神社は、840年前後に仁明天皇より、位をいただいており、「大兎大明神」を祀っていました。大正時代の合祀以前には江戸期築造の社殿があって、蟇股(かえるまた)には「波に兎」と菊の御紋の彫刻が施されているといいます。
「菊の御紋(十六紋菊、菊花紋章)」は、やまとびとの魂の光である松果体をデザインしたもので、松果体摂取を行うことでの支配を示唆していると感じます。菊の御紋は、ある意味、松果体利権を有している支配者の印籠だと言えると思います。
菊花紋章は、日本においては天皇家の紋章ですが、実は、シュメールなどの中東地域の遺跡から出土品にもデザインされているものがあります。菊花紋章に酷似したデザインは、古代、西アジアからエジプトにかけて各地に存在していました。
このことは、菊花紋章がシュメールに降りたアヌンナキという松果体摂取の起源に由来する裏付けだと感じます。最後に、松果体摂取の犠牲になったやまとびとの御魂が上がるよう意図して、白兎神社一帯に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。
先住民のやまとびとは、徐福系渡来人の傘下に入った集団と、入らずに逃避していた集団に分かれたと感じます。記紀に残る神武天皇の東征、日本武尊の東征、坂上田村麻呂の征討などは、先住民の松果体摂取を伴う支配の拡大だと感じます。日本に再び、やまとびとの魂という純粋な光が蘇ることを願っています。(おわり)