河辺正三(かわべまさかず)のウィキペディアを読むと、河辺がインド独立運動の指導者の一人であるスバス・チャンドラ・ボースのことを極めて高く評価していたと分かりました。歓迎の宴席で「りっぱな男だ。日本人にもあれほどの男はおらん」と述べたといいます。
インパール作戦の失敗は明らかであった6月の段階になっても、「この作戦には、日印両国の運命がかかっている。一兵一馬でも注ぎ込んで、牟田口を押してやろう。そして、チャンドラ・ボースと心中するのだ」と考えていたともされます。
「史上最悪の作戦」と呼ばれる無謀なインパール作戦を強行した背景には、河辺など日本軍側のチャンドラ・ボースへの情があったからだといいます。スバス・チャンドラ・ボース(1897年-1945年)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官です。
「イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を抱いており、ガンディーの非暴力主義には強く反対していました。チャンドラ・ボースは、1945年8月、飛行機事故で死亡したとされますが、どうやら日本軍によって暗殺されたと感じます。
裏付けの1つとして、大日本帝国軍の中に、F機関、岩畔機関、光機関と名称を変えてきた「対英インド独立工作における特務機関」が存在していたことです。特務機関のウィキペディアには「対英インド独立工作における特務機関」について記述されていました。
対英インド独立工作における特務機関は、当初、インド駐在イギリス軍の内部分裂を目的としていてインド人を対象とした工作を行っていました。しかし、マレー作戦終了から目的が変わり大東亜新秩序の建設、即ちインドでの反英運動を煽り、ひいてはインドを独立させることでイギリスのアジア・太平洋戦線からの離脱を狙ったのです。
光機関は1943年(昭和18年)、ナチス・ドイツに亡命していたインド独立運動の大物スバス・チャンドラ・ボースを迎え、ボースと親交の深い山本敏大佐が機関長となりました。光機関の前身は、岩畔豪雄(いわくろひでお)陸軍大佐を機関長とする岩畔機関であり、その前身は藤原岩市(ふじわらいわいち)少佐を機関長とするF機関でした。
F機関の人員はすべて陸軍中野学校出身の青年将校でした。陸軍中野学校は、北朝鮮を創った日本陸軍の工作機関です。最終的には、米国に利益をもたらすために、北朝鮮を日本の敵対国に作り上げました。陸軍中野学校は、米国に通じた工作機関であり、光機関も米国を利するための対インド工作機関であったのです。
大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦によって日本は米国の傘下に入りました。インパール作戦は、米国がインド利権を獲得するための布石だったと感じます。チャンドラ・ボースの御魂が光に還るよう光を降ろすと「おつかい」と伴侶が伝えて来ました。やはり米国同和派の工作員だったと思われます。
英国は、インドに東インド会社を有していました。表では紅茶、生糸、綿花、砂糖などの貿易を行っていましたが、裏では武器、麻薬、人身売買が主だったと感じます。インドは13億の人口を擁しており、カースト制度の存在があり、男尊女卑や貧富の差が著しく闇が深い国家です。
《インドの人身売買》には、政府の推定では、毎年5万人の少女が、インドや、インドを経由して他国に売られていると記載されています。これらのことからインドは、欧米列強の人身売買に伴う松果体利権を得るための植民地だったと感じます。
2018年の日本のODA・二国間政府開発援助の供与国の1位は、インド(総支出額約2,231億円)です。インドにはODA利権と松果体利権が過去から存在して来た可能性があります。地球を深い暗闇にして来た闇の仕組が終焉を迎えることを願っています。(おわり)