
テオティワカンには、太陽のピラミッドと月のピラミッドの2つのピラミッドがあります。《歴史から消えた巨大都市。謎多き古代遺跡「テオティワカン」》には、「月のピラミッド」に突き当たる南北4kmに伸びる「死者の道」と、右側にある「太陽のピラミッド」の位置を示す模型の画像が掲載されています。
太陽のピラミッドは、高さ71m、幅203mの大きさで、200年頃完成したとされます。月のピラミッドは、高さ46m、幅140mの大きさで、200年~450年頃に創られたとされます。太陽のピラミッドの頂上には、かつて神殿が立っていたと考えられています。
年に2回、太陽がピラミッドの真上に来て、真正面に沈むように設計されていて、高い天文学と測量の技術を有していたことが分かります。テオティワカンは、日本の弥生時代にあたる紀元前2世紀から6世紀ごろまで繁栄しました。一説には、最盛期の人口は20万人とも言われています。
2006年9月29日の《ナショナル ジオグラフィック》は、「月のピラミッド」で人間や動物を生け贄に捧げたとみられる埋葬跡が発見されたと伝えています。2004年に発見された10人の男性の遺体は後ろ手に縛られ、打ち首にされていて、人骨の特徴などから、戦争で捕虜になった異民族の可能性があるといいます。
《メキシコのピラミッドの地下で秘密のトンネルが発見される(テオティワカン)》には、月のピラミッドの地下に秘密のトンネルが隠されていて、死者が死後の世界へ向かう為の通路の可能性があるとされます。当時テオティワカン人が信じていたアンダーワールドを表現したもので、死者が死後の世界に向かう通路を表している可能性が高いといいます。
太陽のピラミッドと月のピラミッドは、太陽と月を称していることから、昼と夜、光と闇、生と死を意味していると感じます。伴侶の協力を得て、テオティワカンの太陽のピラミッドと月のピラミッドのワークを行うことにしました。太陽のピラミッドに光を降ろすと「テオティワカンは松取り前の人が集められた所」と伝えて来ました。
やはり生贄の人の松果体摂取が行われていました。「月のピラミッドの前の中央の舞台に生贄が集められた。太陽のピラミッドにアヌンナキが封印された」と続けて言いました。ウィキペディアの画像を見ると、月のピラミッドの前の広場の中央に正方形の舞台があり、そこに松果体を取られる生贄の人たちが集められたようです。
伴侶は「アヌンナキが松取りの方法を伝授した。子供の生贄の松と心臓を取出した後、死体に仮面をかぶせた。初期の生贄。宗教が出来る前の時代」と伝えて来ました。アヌンナキは色々な姿に変身して、当時のテオティワカン人にとっての神となって、松果体の摂取についての方法を伝授したのです。
それは、人間の松果体という魂の光を主として、アヌンナキという神の存在へ捧げる儀式として行われたと感じます。Wikipediaのギャラリーには、子供と思われる陶器の人形や石、大理石で出来た仮面の画像が掲載されています。アヌンナキが人間の魂の光を摂取するための具体的な手続きが儀式だったと思います。
闇の仕事をアヌンナキからアーク(アークトゥルス)に引継ぐために、アヌンナキは封印されました。引継いだ闇の宇宙人がアークの傘下の爬虫類型宇宙人のレプタリアンやドラコニアンだと思います。次に、月のピラミッドに光を降ろすと「ここは空っぽ。テオティワカンのピラミッドは、ポンと来た」と伝えて来ました。
ピラミッドは、生贄の松果体摂取のためとアヌンナキが封印されるために創られたようにも思えます。2015年12月にイランにあるシュメール遺跡のチョガ・ザンビールのワークを行いました。その際に、「リリス」「イナンナ」という神としての名前を持つアヌンナキたちが光に還って行きました。
チョガ・ザンビールは、紀元前1250年頃に創られ、ピラミッドの原型のような石でできた祭祀場としての神殿です。突然、伴侶が「Yさんに光を降ろした方がいい」と言いました。知人のYさんに光を降ろすと「いいです。アヌンナキを封じた。前世で太陽のピラミッドの門番だった」と伝えられました。
アヌンナキを封印することは、アヌンナキの仕事であった青の闇という純粋な闇を広げる段階が終わり、より深い闇としての赤の闇というエゴの闇を広げる段階に入ったということです。神へ捧げる神聖な儀式としての松果体摂取から権力者の支配のため、松果体利権という金を得るための松果体摂取へと移行していったのです。(つづく)