10月27日、早朝に頭痛で目が覚めました。一晩中、頭痛がしていて、何とか眠れましたが、深い眠りではありませんでした。6時半頃に起きて、伴侶に観てもらいながら自分に光を降ろすと「松のカルマ」と伝えられました。過去世での松果体摂取の闇の仕事のカルマのようでした。
頭痛や体の部位の苦痛は、闇のサインで光を降ろして闇を統合すれば解消されることが多いですが、大きなカルマの場合は、自分が痛みを感じて苦しまなければならない場合があります。松関連の深い闇の仕組は、自分が苦しむ必要があるものだと感じます。
「頭痛の箇所は日本のどこ?」と伴侶が聞いてきました。ちょうど脳の中心の松果体が痛んでいる感じで、日本地図でいうと「函館山」と感じました。函館山は、巡礼の旅でも訪れており、キリスト教の教会、神社や寺院が数多く置かれている場所です。
もう1つ、遠隔ワークで函館山に光を降ろしたことを覚えていました。戦前から津軽海峡を封じるために「津軽要塞」の名前で函館山にも各種の軍事施設が作られていました。函館山の要塞に、松取りに繋がる地下壕や地下施設があると直感しました。
函館山の地下施設に光が入るよう意図して光を降ろすと「逆ピラミッドと渦巻。裏インド」と伴侶が伝えて来ました。裏インドの闇のエネルギーが置かれていました。地下施設は、トカゲが人間の光を食べ、トカゲに操られた人間が松果体摂取のために利用したのだと感じます。
ワークの後で函館山の地下施設についてネットで調べてみました。《函館山にある要塞跡をほぼ制覇!》によると、函館山は100万年前の火山活動で出現した標高334メートルの低山です。入江山やつつじ山など12のこぶ山が連なった総称して函館山と呼びます。
函館要塞は1895年、日清戦争終結後、日露戦争を予測して函館湾と津軽海峡の防衛強化を目的に4年ほどかけて、大小5箇所の砲台(御殿山第一砲台、御殿山第二砲台、立待岬堡塁跡、薬師山砲台、千畳敷砲台)が建設された軍事施設です。
1905年、函館要塞全体の指揮所として竣工された千畳敷戦闘司令所跡は、4重構造の地下隠蔽壕で、夏でも冷んやりと湿った空気で、軍事施設独特の緊迫したムードが漂うといいます。やはり函館山には地下施設がありました。
《存在を隠されていた函館山》には、函館山が終戦まで半世紀にわたって地図から消されるなどその存在が伏せられていたことが記されています。函館山全体、全部が「函館要塞」という軍事秘密の場所だったからだといいます。
軍事施設だから秘密にされたという理由ですが、実は、「松取り」という秘密の場所だったからだと感じます。松果体摂取を理由にすれば、函館山にキリスト教会が多いことに符合します。函館山とキリスト教、神社仏閣の歴史について、もう少し調べていくことにしました。(つづく)