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松代(まつしろ)大本営跡は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中に掘られた地下坑道跡です。現在、象山地下壕(ぞうざんちかごう)が一般公開されています。舞鶴山にはコンクリート製の庁舎が外に造られ、皆神山地下壕は備蓄庫とされました。

 

3つの地下壕の長さは10kmにも及びます。そのうち中心となる地下坑道は松代町の象山、舞鶴山、皆神山の3箇所が掘削されました。象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局、舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られ現在も残っています。

 

幻の移転計画/昭和天皇も…巨大地下施設とは》には、2017814日に「BS NEWS23」でオンエアされた松代大本営跡の取材内容が、画像と共に掲載されています。掘削や建設には、多いときで7000人近い朝鮮人労働者が動員され、194411月から終戦の日(1945815)まで、たった9ヶ月で巨大な地下壕を掘ったのです。

 

工事では事故が相次ぎ、多くの作業員が亡くなりました。秘密保持のため立ち退きを強いられた人たちもいました。大本営や政府中枢が入る頑丈な地下施設のために、大勢の人が犠牲を強いられたのです。画像を観ていくと、松代大本営がいかに巨大であり、無謀な計画だったことが分かります。

 

松代大本営地下壕と「慰安所」》には、より詳細内容が記されています。「アジア・太平洋戦争末期、松代を中心に天皇や軍、政府の中枢を移転させるための巨大な地下壕掘削工事が行われた際、工事を指揮する人々のために「慰安所」が作られ、年若い朝鮮人女性たちが「慰安婦」として性的サービスを強要されていた。」と記述されています。

 

工事を指揮する人々のためであり、大本営関連の人たちの「慰安所」です。《「松代大本営」関連周辺広域地図》から分かるように、「松代大本営」にかかわる工事は、松代だけではなく、長野周辺約20km四方範囲の山々に計画され、工事の地区数は陸軍関係だけで、9地区に及んだといいます。

 

大本営移転先に松代が選定された理由として、「信州は日本の重心(海岸線から遠い)」「岩盤が頑丈なこと。10トン爆弾に耐え得ること」「地下施設の近くに飛行場があること。既設でなくても場所があればよい」「工事がやさしいこと。労働者の確保や資材の搬入の容易さ、労働者の居住や資材集積の場所があること」

 

「風格や品位といった環境があること。信州が神州につながるなど地名に品位があることや、民家が少なく機密保持がしやすいこと」が挙げられています。「松代大本営とは、アジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。」と記述されていました。

 

「善光寺平」とは「長野盆地」のことで、「善光寺」と関係があると直感しました。過去のヒプノセラピー《魂の光を摂取する生贄という闇の仕組》から、過去において善光寺は、松果体収穫の場所であったことが分かっています。天理御座所と天理教の関係と同様に、善光寺があったから大本営の移転先にされたと感じます。

 

また、「松代」という「松」がつく地名から古くから松取りが行われて来た場所であることが暗示されます。長野県は諏訪湖を中心に中央構造線と糸魚川-静岡構造線が交差する重要な場所です。この大事な光の場所を封印するために、昔から大きな闇が置かれて来たことが分かっており、松代大本営地下壕もその1つだったと思います。(つづく)