琉球王国の王家の第二尚氏末裔の尚衞氏が卒業した玉川大学について調べました。玉川大学は、1947年に設置された東京都町田市玉川学園に本部を置く、キリスト教精神に基づいた宗教教育を行う私立大学です。経営主体は学校法人玉川学園であり、幼稚園から大学院までを擁する総合学園の高等教育部門と位置づけられています。
1929年(昭和4年)、創立者・小原國芳(おばらくによし)により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校された玉川学園を母体とします。小原國芳は、「新しい日本を動かす力を、ここからつくるのだ」という夢からデザインした「理想の学校」の絵を基に、玉川学園を創立しました。
全人とは「全き人間」(the whole man)という意味とされます。教育の目的は、人間文化の6つの要素である学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活について、それぞれの理想である「真」、「善」、「美」、「聖」と、それを支える補助的な価値として「健」、「富」を備えた完全で調和のある人格を育むべきであるといいます。
この理念のために、従来の教育で欠けていた道徳、芸術、宗教などを重視しました。小原國芳のウィキペディアを読むとキリスト教徒であることが分かりました。小原國芳(1877年-1977年)は、鹿児島県川辺郡南方郷久志村(現在の南さつま市坊津町久志)出身の日本の教育学者、学校法人玉川学園の創立者です。
永野修身海軍大臣直属海軍教育顧問なども務め、日本基督教団のクリスチャンです。また、日本だけでなく、朝鮮半島や満洲、中国大陸、そして台湾などのアジアの各地を広範に歩き回って「新教育」の重要性を説き、伝える役割を果たしました。成城学園の拡大や千葉工業大学、湘南学園の創立にも関わっていました。
玉川学園の創設者の御魂を上げるために、また、現在のトップとキャンパスに闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。「OKです。松利権の肝」「頭が大きな宇宙人。トカゲもいた」「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。これまでのワークからクリスチャンの教育者は、子供や若者の純粋な光を封じるために松果体の闇に関与していると感じていました。
キリスト教の闇は、裏の暗黒を隠すために表の見える世界を清廉潔白に整えることが特徴です。ウィキペディアを読んでいくと、1940年(昭和15年)に小原國芳の要請を受け、興亜工業大学(現・千葉工業大学)の創立に参加した本間俊平が気になりました。
本間俊平(1873年-1948年)は、新潟県西蒲原郡間瀬村出身の社会事業家、信徒伝道者(クリスチャン)です。山口県の秋吉台(現・美祢市)の大理石採掘場で、不良少年を含む青少年と共同生活を送りながら若者たちの感化(育成事業)に携わり「秋吉台の聖者」と呼ばれました。
今日における山口県の主要産業の一つである大理石産業を興した一人としても知られます。本間俊平の御魂が光に還るよう意図して光を降ろすと「いいです。松。八咫烏」と伝えられました。やはり松果体摂取の闇に関係していたようです。
八咫烏とは、日本神道系の権力者の松利権を守るための秘密結社です。山口県の秋吉台もポイントでした。2014年12月の山口巡礼の旅で、秋吉台の長者ヶ森を訪れた際に、今から思えば八咫烏の闇の存在と対峙し、光を降ろして解除・統合していたのです。(つづく)