伊是名島、伊平屋島、伊勢神宮のワードでネット検索していくと《靈(れい)の躰血(みち)アマテラスと伊平屋》の琉球の歴史について記述しているブログに行き着きました。伊是名島と伊平屋島にだけ残る「イルチャヨー」という神唄があるといいます。
イルチャヨーの神唄は、「航海安全を祈願する祭りとなっており、世願いとともに、神人たちによって受け継がれてきました。神が隠れている家のまわりを太鼓を打ち鳴らしながら踊り歩きまわっていると、太陽神に扮した神人が、隠れた家の中から出てくるという」
「これはまるで天岩戸神話の場面ではないですか。。。
イルチャョー、イルチャョー、 アマンチュヌ ハジマリ
イルチャョー、イルチャョー、 シルンチュヌ ヌタテル イルチャョー、イルチャョー、 ニシムイヌ カナサギ」と記されています。
この神唄の文を読みながら場面を思い描いていると「松取りの場面だ」と閃きました。渡来人が隠れている先住民を探し出して、松果体の収穫を行う情景だと感じます。大きな魂の光を持つ先住民・やまとびとの松果体を収穫するために渡来人は襲撃したのです。
また、「伊平屋島にはクマヤ洞窟があり、そこは天岩戸神話の舞台であったといわれ、1968年(昭和43年)に盛大な神祭り、天岩戸神事が行われた場所でもあります。 イルチャヨーは天岩戸神話を彷彿させますね」と記載されています。イルチャヨーの神唄の祭は、天岩戸神話が松取りを暗示していると感じました。
古事記、日本書紀に綴られている日本神話の「天岩戸(あまのいわと)」は、太陽神である天照大神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説の舞台とされます。伴侶に、この神唄からの話を伝えると「アマテラスは松取りの神ということだね」と言いました。
伊勢神宮などに祀られている天照大神は、確かに松果体の収穫のために創られた神の存在だと私も思います。琉球王国王家の第一尚氏と第二尚氏は、いずれも琉球を征服した渡来人であり、第一陣の渡来人と第二陣の渡来人と考えています。
日本本土で出雲国を征服した第一陣の徐福・物部系渡来人と、その後、寺社によって松利権を広げた第二陣の秦氏系渡来人の構図と似ています。アマテラスという太陽神を信仰する太陽信仰は世界中に存在しており、その原点は松果体収穫にあると感じます。
伊是名島、伊平屋島、首里城のポイントを選んでワークを行いました。伊是名島にある伊是名玉陵、みほそ所(尚円王生誕の地)、二見ヶ浦海岸に、順に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。玉陵(たまうどぅん)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓のことです。
伴侶が気になるという首里城玉陵に光を降ろすと「いいです。秘密の場所。隠れてやっている」と伝えられました。伊平屋島の念頭平松(樹齢200年以上のリュウキュウマツ)、屋蔵墓(第一尚氏始祖の父の墓)、田名のクバ山(田名岬の久葉山)に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
海岸沿いにあるクマヤ洞窟に光を降ろすと「松取りの現場」と伴侶が伝えて来ました。やはり伊平屋島の天岩戸は、先住民の松果体の収穫場所でした。今から思えば、過去の巡礼の旅でも同様な洞窟として、岩手県の達谷窟(たっこくいわや)毘沙門堂と鹿児島県の熊襲の穴がありました。
達谷窟毘沙門堂は、東北地方の先住民である、アテルイなどの蝦夷(えみし)の人たちがヤマト王権の渡来人に松果体収穫のために虐殺されたのです。熊襲の穴は、薩摩地方の先住民である熊襲の人たちが松果体収穫のために虐殺された洞窟だったのです。(つづく)