1月18日、夜11時過ぎ、パソコンに向かって記事を書いていると、高い音が窓の外の方から聞こえて来ました。雅楽の笛のような音で不思議に思いましたがサインだと捉えて、翌日に、伊勢神宮についてのワークをすることにしました。伊勢神宮については、過去に巡礼の旅や遠隔で幾度か内宮、外宮、別宮などのワークを行っていました。
伊勢神宮は、三重県伊勢市にある神社で、正式名称は地名を冠しない「神宮」です。神社本庁の本宗(ほんそう:全ての神社の上に立つ神社)であり、二十二社の中の更に上七社の1社です。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされました。
伊勢神宮には天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれています。伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強いとされます。
伊勢神宮には、天照大御神の御神体としての「八咫鏡」は内宮に奉安されています。鏡は、剣と玉と共に三種の神器ですが、本来はエネルギー体です。伊勢神宮などに祀られている三種の神器は、目に見える物質としてのものです。過去のワークでは、鏡のエネルギー体は裏インドの闇のエネルギーであり、松果体を収穫する時に用いられたと分かっています。
裏インドの闇の鏡のエネルギー体は、光に統合されました。《質問!どうして歴代天皇は伊勢神宮に参拝しないのか?》には、明治天皇の以前の天皇は、八咫鏡に宿る「天照大御神の御霊」を心底、恐れていたので、伊勢神宮に参拝しなかったという説が記されています。明治以前の天皇は、松取りに使う恐ろしい力を持つ鏡であることを知っていたのだと思います。
今回のワークでは伊勢神宮の頂点に立つ人がポイントだと感じました。伊勢神宮には、祭主(さいしゅ)と大宮司(だいぐうじ)が存在しています。祭主は、伊勢神宮にのみ置かれている神職の役職です。闇の解除・統合を意図して祭主と大宮司に光を降ろすと「トカゲ」「天皇家のお使い」と伴侶が伝えて来ました。
大宮司の経歴にあった「霞会館(かすみかいかん)」というワードが気になりました。ウィキペディアには、「一般社団法人霞会館は、旧華族の親睦団体。前身は華族会館。1947年(昭和22年)の華族制度の廃止により、霞会館と名称を改めた。所在地は霞が関ビルディング34階。霞会館は、元来、旧華族の親睦の中心として存在してきた。」と記載されていました。
華族は、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級で、華族となった家の当主は「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の五階の爵位に叙されました。霞会館の理事長と本部の霞が関ビルに光を降ろすと「天皇家に仕えるトカゲたちがいる」「ここの地下でやっている。江戸城のお堀のある所」と伝えられました。
どうやら江戸城が出来た時から地下で松果体摂取が行われていたようでした。過去のワークから、東京には皇居を中心とする大規模地下施設があると感じていました。歴史的にも、アマテラスという松取りの神を氏神とする天皇家と支配層の人たちのための地下施設だったと感じます。
《日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」の建設》には、「1965(昭和40)年、「三井不動産」は「霞会館」を建て替える形で、日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビルディング」の建設に着手した。」と記載されています。霞が関ビルが出来る以前に、既に霞会館の建物が存在していたのです。
最後に、トカゲを含む闇の存在が光に統合するよう伊勢神宮内宮に光の柱を降ろすと「いいと思います」と伝えられました。琉球王国からスタートした今回の一連のワークでは、渡来人による先住民の魂の光である松果体の収穫の歴史が日本の光の封印という闇の起源であることが分かります。日本の暗闇に光が差し込み、本格的な光の幕開けになることを願っています。(おわり)