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11日、口中の右上の歯肉が急に痛み出して来ました。鏡で見ると口内炎の初期状態で、ワークのサインだと感じました。日本地図のどこなのかを感じてみると宮城県の「松島」だと思いました。松島のワーク《宮城 瑞巌寺》は、201511月に遠隔で行っていました。

 

瑞巌寺から青龍が統合され、瑞巌寺の奥の院と呼ばれる松島の雄島では、白蛇が統合されました。白蛇は渡来人が大陸から持ち込んだ闇のエネルギー体で、松尾芭蕉は白蛇の化身であることが分かりました。松島は、その名に「松」が付くので、松利権の行使場所だと感じていました。

 

松尾芭蕉も「松」が付くので、松果体の収穫によって土地の光を封じる闇の仕事をしていたと思います。松島は、宮城県の松島湾内外にある諸島のことで、日本三景の1つに数えられています。松島の中で瑞巌寺の奥の院とされる「雄島」が気になりました。

 

鎌倉遺構探索》には雄島の画像と共に「雄島は、中世から供養の場とされてきた霊場です。そこには鎌倉の葬送文化であるやぐらが造営されていました」と記されています。Wikipediaには、「やぐらは、鎌倉の周辺で鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて作られ、使用された横穴式の納骨窟または供養堂である」と記載されています。

 

しかし、横穴式洞窟のやぐらは、松取りが行われた場所だと感じます。松取りの場所として、戦時中の地下壕、地下基地や沖縄の自然洞窟であるガマにも繋がってきます。雄島に光を降ろすと「松の場所」と伴侶が伝えて来ました。臨済宗妙心寺派の寺院で、バラ寺と呼ばれる円通院にも光を降ろすと「金」と伝えられました。

 

瑞巌寺、円通院は松利権を有していたと感じます。松島全体にも光を降ろすと「いいです」と伴侶が言いました。雄島や松島は、福山市の鞆の浦、仙酔島と同様に、松利権の行使には好都合であり、日本の陸地の端を闇にして固めるためには、大事な場所だったのです。宮城県の松島には、もう1つ気になっていることがありました。

 

日本の暗闇の中心となる皇居の地下施設と東京地下の秘密通路の存在》にある皇居の地下にある昭和天皇用の防空施設とは別の戦前の宮城の防空施設です。記事を書いた時は、「松」の字がつくことから宮城県東松島市にある「松島基地(松島航空基地)」ではないかと推測していました。

 

松島基地は、宮城県東松島市矢本にある航空自衛隊の基地で、日本海軍の飛行場、松島海軍航空隊矢本飛行場が始まりです。飛行場の建設は、1938(昭和13)から始まり、1942(昭和17)に竣工しました。当時、横須賀海軍建設部の書記官一人が事前連絡なしに当時の鷹来村を訪れ、一方的に飛行場の建設を村の関係者に言い渡したといいます。

 

ネットで松島基地・地下壕で検索してみると《松島航空基地地下壕(松島要塞)》がヒットしました。「太平洋戦争のさなか日本海軍が本土決戦に備えて地下壕を建設した。場所は、旧矢本町鹿妻から旧鳴瀬町牛網の丘陵地(現在は東松島市)。本土決戦を前にした海軍は基地の中枢を北西部の丘陵地の地下壕に移しました」

 

「倉庫機能のほかに作戦室、通信室、 居住室、病室、奉安室(天皇陛下の写真を飾った部屋)などを設置し、松島航空基地の指揮と運用機能の確保 を図りました。これらの地下壕は終戦まで各種兵器と燃料などの格納保管と一部の隊員の居住区となり、戦後は米軍による 接収までの保管場所として利用されたようです」と記載されています。

 

松島航空基地地下壕は、松島基地の東側にある標高43.9mの鷹ノ巣山の山中にありました。鷹ノ巣山の地下壕を意図して光を降ろすと「いいです。闇の場所」と伝えられました。宮城県松島の地が開かれて、本来の光の場所となることを願っています。