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稲盛和夫のウィキペディア
には、「妻の朝子は、禹長春(ウ・ジャンチュン)の四女である」と記されていました。禹長春(1898-1959)は、農学者(農学博士)、育種学者で、韓国農業の父と呼ばれます。父は乙未事変(朝鮮国王王妃閔妃暗殺事件)に参加した軍人・禹範善(ウ・ボムソン)です。

 

乙未事変は日本軍の工作活動で、禹範善は日本主導の訓練隊の大隊長でした。日本に亡命し、最期は暗殺されました。禹長春の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「恨みの人」と伴侶が伝えて来ました。父親と同様に日本に利用され、恨みがあったと感じます。

 

京セラは、京都市伏見区に本社を置く電子部品、ファインセラミック部品、半導体部品、情報機器、通信機器、太陽電池、セラミック、宝飾、医療用製品などを製造する大手電子部品・電気機器メーカーです。京セラのトップ2人に光を降ろすと「同和」「プレアデスの闇」と伝えられました。

 

京都市伏見区にある本社に光を降ろすと「変な光が出ている。七色の光」と伴侶が伝えて来ました。金の闇、エゴの闇のエネルギーだと感じます。《普通の人たちを暗闇にする》のエネルギーワークでは、名前を書いていませんが、日本で広く利用されているLINEに光を降ろすと「七色のドラコ」が統合されました。

 

本ブログのライブドアブログを運営するのがLINEであり、LINEの親会社が韓国のIT企業ネイバーです。LINEの親会社である韓国のIT企業ネイバーに光を降ろすと「トカゲの巣。ドラコもいる」と伝えられました。京セラ、KDDIの創業者の稲盛和夫に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国」と伝えられました。

 

1223()、朝方に左足付け根の内側の皮膚の表面に弱い痛みを覚えました。稲盛和夫の故郷・鹿児島の鶴丸城(つるまるじょう)だと感じました。鹿児島城は、薩摩国鹿児島郡城山麓(現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた江戸時代の日本の城で、別名は鶴丸城です。

 

鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれており、由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによるとされます。稲盛和夫が名誉会長を務めた日本航空のロゴマークの「鶴丸」と同じです。鶴丸城の地図を観ると、近くに西南戦争時に西郷隆盛がこもったとされる「西郷隆盛洞窟」がありました。

 

鶴丸城の背後にある城山で「松取り」が行われたと直感しました。鹿児島城(鶴丸城)に光を降ろすと「松の場所」と伴侶が伝えて来ました。やはり鶴丸城は松果体収穫の場所でした。薩摩藩は、松利権を有しており、西南戦争は、松利権を主とする裏世界の利権の争奪のための戦争だったと感じます。

 

過去のワークで、軍都が置かれた都市の城跡に光を降ろすと「裏インド」と伝えられていました。今、思えば、この「裏インド」とは、「松取りの場所」の意味だったと分かります。日本の城跡で気になっていたのが「大阪城」です。大阪城は、安土桃山時代に上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に再築された日本の城です。

 

築城主は豊臣秀吉で、主な改修者は徳川秀忠です。《真田幸村の抜け穴に謎の石組み》を読むと、大阪城には地下施設があるようです。大阪城に光を降ろすと「変な光が出る所。松の場所」と伴侶が伝えて来ました。松取りの場所もエゴの闇、金の闇の場所なのです。

 

日本全国に城が築かれて、松取りが行われて来たと感じます。松取りという松果体の収穫は、人間のエゴを満たすために人命を奪い、それを隠蔽してきたのです。松取りの行為は、極限的な重い闇のエネルギーとなり、土地の光を封印します。今回、ワークを行った人や土地が開かれて本来の姿になることを願っています。(おわり)