12月22日(火)、朝起きると「中島」の言葉を覚えていました。中島姓の大柄な知人男性が夢に出てきたように思いました。以前勤めていた会社を中心に、今までに出会った中島姓の人は、思い出すことができる範囲で4人でした。「どういう意味だろうか?」と思案すると、反社や裏世界のワークと関係していると感じました。
夢の話を伴侶に話すと「中島公園じゃない?」と伝えて来ました。札幌市内の中島公園の関係かもしれないと思いウィキペディアを読むと「八窓庵(はっそうあん)」が気になりました。八窓庵は、茶室で、当初は近江国小室城(滋賀県長浜市)に建てられていましたが、中島公園に移設されたといいます。
その日の夜、ヤフーニュースを見ると毎日新聞の記事《東京福祉大総長が復職 過去に強制わいせつ罪で実刑判決 文科省への説明、ほごに》が掲載されていました。記事にある復職する当事者は、東京福祉大学の創設者である「中島恒雄」でした。
「部下の女性教職員5人に対する強制わいせつ罪で2008年に実刑判決を受けた東京福祉大(本部・東京都)の創設者、中島恒雄氏(73)が、11月20日付で、大学長と運営母体の学校法人「茶屋四郎次郎記念学園」理事長を兼ねる総長に復職したことが同法人への取材で分かった。」
「大学側は、中島氏を運営に関与させないことを文部科学省に報告してきた経緯があり、同省は「過去の説明と整合性が取れない」として調査に乗り出した。」と記されていました。記事には、2016-2018年度で、東京福祉大の留学生1610人が所在不明になっていることも書かれていました。
パワハラ、セクハラで実刑判決を受けた教育者が大学トップに復帰することは、常識的にあり得ないことです。尋常ではない人物のようであり、夢で見た「中島」とは「中島恒雄」のことだと感じました。「中島恒雄」「東京福祉大学」についてネットで情報収集することにしました。
《中島恒雄 - Wikipedia》によると、中島恒雄(1947年-)は、愛知県名古屋市出身の日本の教育者で、学校法人茶屋四郎次郎記念学園創立者・理事長、東京福祉大学・大学院総長・学長、学校法人たちばな学園創立者・理事長、理学・作業名古屋専門学校
名誉校長、保育・介護・ビジネス名古屋専門学校校長です。
社会福祉法人茶屋福祉記念会
茶屋とくしげ保育園理事長、社会福祉法人茶屋の園 特別養護老人ホームたちばなの園白糸台 創立者でもあります。教育と福祉の分野でビジネスを展開していることが分かります。特定非営利活動法人(NPO) 日本・留学生交流援護会創設者でもあり、留学生ビジネスも範疇にあると感じます。
学歴は、学習院大学法学部卒業、フォーダム大学教育学大学院博士課程修了(教育学博士)です。前ハーバード大学教育学大学院招聘学者、黒龍江大学高級顧問教授、上海師範大学名誉教授、海南師範大学名誉教授の肩書も記されています。尾州茶屋家17代当主とあります。
信濃守護の小笠原氏の家臣の家柄で、朱印船貿易家の茶屋四郎次郎清延第17代目直系の子孫と語っていると記載されていました。「茶屋四郎次郎清延」が目に留まりました。《茶屋四郎次郎 - Wikipedia》によると、「安土桃山時代から江戸時代にかけての公儀呉服師を世襲した京都の豪商の通称。」
「当主は代々「茶屋四郎次郎」を襲名する習わしであった。正式な名字は中島氏。」と記されていました。初代・茶屋四郎次郎(清延)の御魂が上がるよう光を降ろすと「工作員のよう。ただの商人ではない」と伴侶が伝えて来ました。そもそも、茶屋とは街道沿いのお茶を出す休憩所であり、情報収集の場所でもあったといいます。
茶屋四郎次郎の家系は、表の顔は金儲けの商人で、裏では闇の仕事をする工作員をしてきたようです。「1947年6月26日愛知県名古屋市中区茶屋町(現・丸の内)に生まれる」と記されていた茶屋町について調べると《仕度もしたき茶屋町―茶屋新四郎宅址》を見つけました。
「茶屋町は、町内に呉服商人中島新四郎(茶屋長意)が住んでいたので、屋号の茶屋を町名とした。茶屋家の創立者は、徳川家康の側近として情報の収集や諸家との調停にあたった中島四郎次郎清延」と書かれており、やはり情報収集のための工作員の側面があったようです。(つづく)