
1月2日、朝起きると、寝ている時に見た夢を覚えていました。どこかの病院で、男性医師と女性看護師が出てきて話をしていました。私は大学の学部4年の時から、母校とは別の付属病院のある日大医学部で研究していたことがあり、日大について調査とエネルギーワークを行う必要があると感じました。
《日本大学 - Wikipedia》によると、日本大学(日大)は、東京都千代田区九段に本部を置く日本の私立大学です。1920年に設置された日本最大の規模を有する総合大学で、「常に世界的な視野をもち、教育の発展及び人類社会への貢献」を教育目標としています。
皇典講究所の所長でもあった山田顕義を学祖とし、創立関係者は宮崎道三郎と金子堅太郎を含む法律学者11名です。前身の日本法律学校を設立するにあたって、山田顕義は、先の創立者との協議の上で「日本の古法旧制を明かにして、更に新しく生れる諸法典を研究するため、日本の法学を修める学校を設立する」ことを取りまとめました。
山田は大日本帝国憲法が発布された近代国家の創成期において、「国法」を専修する法律学校の設立が急務であると考え、直ちにその設立事業に取り掛かりました。日大のウィキペディアを読むと1番のキーパーソンは、山田顕義と感じました。山田 顕義(1844年-1892年)は、日本の幕末の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人です。
明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の設立者として、近代日本の法典編纂に尽力したことから「法典伯」の異名を持ち、「近代法の祖」と称されます。長門国(現:山口県)出身で、吉田松陰が営む松下村塾に最年少の14歳で入門、最後の門下生となります。25歳の時に戊辰戦争で討伐軍の指揮をとりました。
岩倉使節団の一員としてフランスを訪問した際、ナポレオン法典と出会い、「法律は軍事に優先する」ことを確信し、以後一貫して法律の研究に没頭しました。山田顕義の画像を観るとどこかで見た覚えがありました。御魂が光に還るよう光を降ろすと「中国。あなたの母親の過去世かもしれない」と伴侶が伝えて来ました。
法政大学と同様に、「法律」はフランスであり、ロスチャイルド=中国共産党の影響かにあると思います。やはり亡くなった母親も、旧姓は「山田」であり、過去世と伝えられて納得しました。創立者総代の宮崎道三郎(1855年-1928年)は、三重県津市出身の法学者で、法学博士、東京帝国大学教授(法制史)です。
初代校長の金子堅太郎(1853年-1942年)は、明治期の官僚・政治家です。司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官を歴任し、日本帝国憲法の起草に参画し、皇室典範などの諸法典を整備しました。初代総長の松岡康毅(1846年-1923年)は、徳島県出身の司法官僚・政治家で、検事総長、農商務大臣、貴族院議員を歴任しました。
最期は、葉山別邸で関東大震災に遭い、死去しました。宮崎道三郎、金子堅太郎、松岡康毅のそれぞれの御魂が上がるよう光を降ろすと「プレアデスの闇」「松」「プレアデスの闇」と伴侶が伝えて来ました。大本営の天皇を動かす「院」が葉山にあったかもしれないといいます。葉山は、御用邸や皇族の別荘が幾つもありました。
現在の日大のトップは、田中英壽(たなかひでとし)理事長です。田中理事長は、青森県北津軽郡金木町出身で、アマチュア相撲界の第一人者であり「アマ相撲界の大鵬」の異名を取りました。2008年より学校法人日本大学理事長に就いています。広域暴力団の住吉会会長や山口組組長らとのいわゆる黒い交際が発覚し、JOC副会長を辞任しています。
《ENDIA》には、田中理事長の山口組との黒い疑惑や日大アメフト部の悪質タックル問題が記載されています。日大の田中英壽理事長と学長に光を降ろすと「ヤクザ」「中国マフィア」と伝えられました。日大は、大学という教育機関が若者の魂の光を封じる闇の役割なっている典型例だと感じます。日本大学が本来の姿になり、闇の役割が終わることを願っています。