《マリアの宣教者フランシスコ修道会 - Wikipedia》には、「1898年(明治31年)10月、熊本県熊本市西区の私設ハンセン病療養所「待労院」および同一敷地内に開業した「慈恵診療所」の設立に、当修道会の修道女5人が関わっていた。なお慈恵診療所は、後に慈恵病院に発展し「こうのとりのゆりかご」を設置したことで知られている。 」
「その後、医療・福祉事業は社会福祉法人聖母会に発展する。」と記されています。《ハンセン病療養所が暗示する同和の闇》では、ハンセン病療養所関連のキリスト教関係者のワークを行っており、ハンセン病療養所では松果体収穫と人体実験が行われた可能性が高いです。医療や慈善事業の名目の裏側で暗黒行為が成されているのです。
私設ハンセン病療養所「待労院」も同じだったと思います。熊本の地は、地震や水害など自然災害が多く発生しており、以前から大きなエゴの闇があると感じていました。自然豊かな光の場所である故、封印して暗闇にするために、古くから松果体収穫が行われ、エゴの闇で覆われて来た場所でした。
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」とは「赤ちゃんポスト」のことです。《赤ちゃんポスト - Wikipedia》によれば、赤ちゃんポストは、諸事情のために育てることのできない新生児を親が匿名で特別養子縁組をするための施設、及びそのシステムの日本における通称です。日本では唯一、熊本県熊本市の慈恵病院がこのシステムを採用しています。
日本国外でもこうしたシステムを採用している国や地域が多数存在しており、現代においての設置数の上位国は、ドイツで100箇所、パキスタンで300箇所以上であるといいます。赤ちゃんポストは、善意の行為の名の下に成される松果体収穫の暗黒行為の温床となっていると感じます。慈恵病院の前院長、現院長、病院全体のワークを行いました。
それぞれに闇の解除・統合を意図して光を降ろしていくと「松喰い」「トカゲ」「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。《聖母会 - Wikipedia》によると、聖母会は本部を東京都新宿区中落合に置く社会福祉法人です。パリ・ミッション会の宣教師ジャン・マリー・コール師の招聘により、マリアの宣教者フランシスコ修道会の創立者マリー・ド・ラ・パシオンが5名の修道女をローマより派遣したことが始まりです。
1952年(昭和27年)に社会福祉法人聖母会となり、以後、全国に医療施設、養護施設、老人施設、診療所、保育園をもつ法人として1000名の職員を有する法人として運営されています。東京都新宿区中落合の本部には、聖母病院が併設されています。系列の看護系大学に聖母大学がありましたが、上智大学と合併しました。
2014年、聖母大学は同じカトリック系の上智大学と合併し、現在は同大学総合人間科学部看護学科となっています。聖母会に関連するパリ・ミッション会の宣教師、社会福祉法人の理事長、聖母病院院長、法人本部に、それぞれ光を降ろすと「変態。猟奇的」「普通の人」「トカゲ」「いいです。地下がありそう」と伝えられました。
ワークの後、自分の首と目の奥に痛みを覚えました。自分に意図して光を降ろすと「松取り教の教祖」と伴侶が伝えて来ました。過去世で私は、松果体収穫という深い闇の仕組に関わっていたようでした。再度、松取りの闇の過去世が統合するよう意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
マリアの宣教者フランシスコ修道会の創立者マリー・ド・ラ・パシオンの実績から、インドに深い縁を持つ著名な修道女のマザー・テレサも、慈善活動を隠れ蓑として松取りという深い闇の仕事をしていたことが推測されます。原始キリスト教を起源とする最高の秘密となる松果体収穫の仕組は、地球の闇のベースとなって来ました。
地球で肉体を持つ多くの魂が、深い闇を経験して大きな光になるための仕組です。地球は目に見える現実世界である故に、真実を隠蔽することが出来ます。今、アドレノクロムを含めた松果体収穫の隠された真実が世界の人々に広まりつつあります。多くの魂と共に地球が輝いていくことを願っています。(おわり)