森喜朗元首相の調査の中で、祖父・森喜平と父・森茂喜が2人で約64年間も地元の根上町(ねあがりまち)の首長に就いていたことが気になっていました。森家の人間を石川県の一地域のトップの座に就かせていた根上町という土地にも何かあると感じていました。そのヒントが森茂喜のウィキペディアに書かれていた「ソ連との交流」です。
「石川県は今もロシア協会が対露交流を行うなど、ロシアとの文化交流が深いが、その礎を築いたのが森だった。
日ソ協の会長を務めていた関係で、1950年代よりソ連との民間交流を実施していることでも知られていた。内容としては中学生の相互訪問であり、日本側がソ連に出向くときはピオネールのキャンプ場が目的地であった。金沢市とイルクーツク市は姉妹都市の関係を結び、根上町はシェレホフ市と締結した。」
「茂喜の死後、遺言に従って遺骨の一部がシェレホフ市に送られ、墓が造られた。その墓は茂喜が要求したもので、自分の死後も交流を絶えさせないための手段であったという。2001年にイルクーツクでの日露首脳会談の際にウラジーミル・プーチン大統領が墓参をおこなった。」と記されています。ピオネールとは、ボーイスカウトのソ連版のことです。
創成期のボーイスカウト運動が旧ソ連に伝わった後、国策・党策に合わせてその方針、形態が変化したものといいます。《子供たちを暗闇の箱に入れる役割のボーイスカウト》にありますが、ボーイスカウトは松利権と繋がっていると見ています。《情報ツウ》には、森喜平の画像と森茂喜の遺影が描かれたロシアの墓の画像と共に森喜朗の家系についての詳細情報が掲載されています。
森喜朗元首相の祖父・森喜平と父・森茂喜の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」「工作員。ロシア関係」と伴侶が伝えて来ました。2人とも、やはり工作員でした。《表の米国の闇と裏の欧州の闇》に書きましたが、共産主義陣営は自由主義陣営の対立軸としてロスチャイルドが作った仕組です。現在のロシア(旧ソ連)はロスチャイルドが背後にいることになります。
ピオネールが関係しているので、松利権の支配のための工作員だったと感じます。根上町は、ニューヨーク・ヤンキースに在籍した松井秀喜の出身地でもあります。私も若い頃は松井秀喜のファンで、ヤンキースタジアムで観戦したことがあります。松井秀喜の父・松井昌雄は、宗教法人・瑠璃教会(るりきょうかい)の二代目司教です。
松井昌雄は、1969年、27歳で松井家養子となります。1978年、21年間勤務した小松製作所を退社し、瑠璃教会初代司教・松井瑠璃寿のあとを継いで、同教会二代目司教になります。《「根上町」から紐解く闇-<神の子>松井秀喜》には、貴重な情報が収載されています。「地元では、根上は朝鮮部落として知られている」と記されています。
教祖・松井瑠璃寿は、1953年、瑠璃教会を根上町に設立する前に、名古屋の天祖光教に所属していました。新宗教の天祖光教を立教したのは清水信一であり、22歳のとき、朝鮮京城市(現ソウル市)郊外の崇仁洞という洞穴に
こもり、啓示を受け、35歳のときに一派を起こしたといいます。松利権を通じて韓国のキリスト教とも繋がっていると感じます。
日本海に面した石川県根上町は、松取りのために半島の人たちが動員された工作活動の土地だと思います。カルマの解消として、現在の日本が朝鮮半島の人々に実質的に支配されている闇の仕組にも繋がります。李氏朝鮮の怨念を原動力として日本を封印する闇の役割をして来た安倍晋三前首相と後見人としての森喜朗元首相が深く結びついていることは納得できます。
根上町をグーグルマップで調べると《根上町 - Google マップ》の地図に「根上の松」「根上古戦場」が表示されました。「松」がつくので、この地が古くから松取りの場所だったと感じます。《つとつとのブログ》には、根上の松の場所は、源平合戦の古戦場とされ、白山の遥拝所としての役目も持っていると記されています。白山と言えば、「裏インド」の役割をしていた重要な山です。
また、白山は、同和地区の人たちに信仰されている山でもあります。根上町は加賀藩の地であり、《加賀藩の松利権を象徴する胎盤の漢方薬・混元丹》にあるように、加賀藩の松利権を引継いできた地でもあると思います。大事な光の地である故に、松果体収穫が行われ闇で封じられて来たのです。
瑠璃教会の松井昌雄司教と森喜朗元首相に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「反社」「いいです。ばっちり入りました」と伝えられました。根上町に関係した人たちが闇の役割を終えて光に向かい、根上町を中心とする石川の地が開かれて本来の姿になることを願っています。(おわり)