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不二家の完全子会社として設立された株式会社ダロワイヨジャポンについては、不二家が「DALLOYAU」ブランドの日本国内における商標権等を取得しており、201812月現在で21店舗を展開しています。本社を東京都文京区大塚に置いており、会長は山崎製パン副社長、不二家会長を歴任した山田憲典です。

 

山崎製パン株式会社は、東京都千代田区岩本町に本社を置く日本最大の製パン企業です。世界ではメキシコに本拠を置き北米・南米に展開するグルーポ・ビンボに次ぎ第2位の規模とされます。パンの国内シェアは約4割で、パン・和菓子・洋菓子・調理パン・米飯・ジャム・デザート・レトルト食品・ビスケット・クッキー・米菓など幅広い製品を製造・販売します。

 

1948(昭和23)、創業者・飯島藤十郎が千葉県船橋市本町のマツマル製パンで修行し、千葉県市川市に「山崎製パン所」を開業、パンの委託加工を開始しました。ウィキペディアによると、飯島藤十郎(1910-1989)は「東京府北多摩郡三鷹村に生まれる。16歳で父親を亡くし、旧制中学を中退して新宿中村屋へ勤める。」

 

1931年に中村屋を辞して、現在の東京学芸大学にあたる東京府豊島師範学校二部に入学する。後に、中村屋の店主相馬愛蔵の影響でクリスチャンになる」と記されています。山崎製パンの創業者はキリスト教徒だったのです。また、ワンマン経営者だった飯島藤十郎は、山崎製パンに損害を与えたとして、社長職から退任した後に監査役から商法の競業避止義務違反で訴えられ敗訴しています。

 

さらに、1977年に当時専務だった弟・一郎が山崎製パンの大株主である日清製粉(現・日清製粉グループ本社)のバックアップを得て、藤十郎を社長職から追放した上で同職に就任したため、藤十郎は日本船舶振興会(現・日本財団)会長の笹川良一による支援で日清製粉の株式を買い占めるなど、お家騒動に発展しました。

 

しかし、日清製粉のオーナーで皇太子妃(現・上皇后)美智子の実家である正田家への飛び火を恐れた財界が事態の収拾に動き、富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)の岩佐凱実相談役が仲裁する形で藤十郎は山崎製パンの社主となり、社長は藤十郎の長男である延浩が就任しました。

 

一郎は一旦代表権のない会長に就いた後、直ぐに子会社であるヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)の社長に追放することで決着しました。大物フィクサーや大企業を巻込んだお家の兄弟争いだったことから何か隠された利権が関係していた可能性を感じます。山崎製パンには、製パン工程での臭素酸カリウムの添加物問題があります。

 

「山崎製パンは20142月より臭素酸カリウムの使用を中断した。これは近年の臭素酸カリウム使用に関する批判を受けてではなく、技術が向上し、臭素酸カリウムを使用しなくても国産小麦をふっくらと焼き上げる事が可能となったためとしていた。その後、202031日出荷分より角型食パンの一部ブランドに限り臭素酸カリウムの使用を再開した」と記されています。

 

また、食品科学等に関する研究等の推進を通じて、食生活・食文化の向上、健康の増進及び食品産業の発展に寄与することを目的としている財団法人食品科学振興財団も保有しています。山崎製パンの社長は飯島延浩、食品科学振興財団理事長は飯島幹雄(山崎製パン副社長・東ハト社長)です。

 

山崎製パンの創業者の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「野心家」と伴侶が伝えて来ました。ダロワイヨジャポンの会長、山崎製パン現社長、食品科学振興財団理事長、山崎製パン本社に闇の解除・統合を意図して、それぞれ光を降ろすと「松」「裏インド」「極悪にした」「いいです。光は入りました」と伝えられました。(つづく)