山崎製パンの創業者・飯島藤十郎は、新宿中村屋へ勤めて店主の相馬愛蔵の影響でクリスチャンになりました。新宿中村屋も重要な役割をしていたと感じます。Wikipediaによれば、「株式会社中村屋は、東京都新宿区に本社を置く食品メーカーである。一般には「新宿中村屋」で知られる。和菓子、洋菓子の他、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレー等を製造販売している。」
「他に、いわゆるデパ地下やショッピングセンター等で菓子店と(直営店15店)、レストラン(直営店10店)を営業している。現在日本で食べられている中華まんは、大正14年から昭和2年発売日まで改良を加えられて、日本人の口に合うように工夫されたものである。また、クリームパンを日本で初めて販売しており、カレーパンと共に有名である。」と記載されています。
また、「1918年に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、ボースから米(白目米)や鳥(軍鶏)にまでこだわった本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。」とあります。ラス・ビハリ・ボースは、頭山満や犬養毅と同席した写真もあり深く関係していました。
《キリスト教の闇が日本を支配する構図を導いたキリシタン黒田官兵衛》にありますが、頭山満は右翼団体の玄洋社の総帥であり、犬養毅は元内閣総理大臣であり、中国大陸での工作活動の実働部隊であった大陸浪人たちを支援していました。頭山満や犬養毅は、松利権の拡大を狙って活動しており、インドの独立運動家としての工作員のラス・ビハリ・ボースと繋がっていたと見ています。
ウィキペディアによると、新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵(1870年-1954年)は、長野県出身の社会事業家、実業家です。妻の相馬黒光とともに東京新宿中村屋を創業しました。臼井吉見の大河小説『安曇野』に中心的人物として描かれています。信濃国安曇郡白金村(現・長野県安曇野市)の豪農の家に生まれました。
旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を3年で退学し、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学しました。在京中に市ケ谷の牛込教会に通いはじめ、キリスト教に入信し、洗礼を受けた。内村鑑三らの教えを受け、田口卯吉(歴史家、実業家)の知遇を得ました。相馬愛蔵は、信濃出身でキリスト教徒であることから松利権に関係していたと感じます。
ラス・ビハリ・ボース、相馬愛蔵と妻の相馬黒光の御魂が上がるよう意図して、それぞれに光を降ろすと「あくどい」「工作員」「トカゲ」と伴侶が伝えて来ました。山崎製パンの調査とワークの流れから、「キリスト教」「大陸」がカギになると感じます。さらに、山崎製パン×キリスト教でネット検索すると「ヤマザキパンは朝鮮キリスト教の怪しい会社なんですか?」のYahoo!知恵袋がヒットしました。
「ヤマザキの飯島社長が韓国キリスト教と深い関係にあるのは簡単に調べられます。まず、ヤマザキが売り上げを寄付しているFIDRとWVJの役員を調べてみます。念のため行っておくけどこの両団体は飯島が韓国を救うために設立したキリスト教団体です(株主総会で明言)。その両団体では飯島社長と不二家の峯野龍宏取締役が役員にでは仲良くならんでいる。」
「次に峯野龍宏をウィキなどで調べてみると韓国と結びついているキリスト教牧師だとわかります。峯野取締役が主幹牧師をしている淀橋教会は、韓国系ホーリネス教団が韓国部として設立した教会。しかも峯野取締役は数多くの韓国キリスト教関係の団体の役職に就いている。さらにクリスチャントゥデイというハンニチ韓国キリスト教団体では峯野取締役が会長をしています。」
「そこはトーイツ教会の元幹部が幹部をしています。比較的簡単に調べられることばかりです。」と記されています。核心を突いた貴重な情報だと思いました。やはり韓国キリスト教に繋がっており、日本における松利権の支配という日本を封じる闇の仕組に直結すると感じます。「WVJ」「FIDR」「峯野龍宏」「クリスチャントゥデイ」「統一教会」をキーワードに選び、さらに調べていきました。(つづく)