柏崎刈羽原子力発電所は、新潟県柏崎市と同県刈羽郡刈羽村にまたがる東京電力ホールディングスの原子力発電所です。1号機から7号機までの7基の原子炉を有し、合計出力は821万2千kWです。1997年7月2日に7号機が営業運転を開始したことで、それまで最大だったカナダのブルース原子力発電所の出力を抜き、世界最大の原子力発電所となりました。
運転開始は、1984年11月ですが、2007年の新潟県中越沖地震発生時、稼働する全ての原子炉は自動停止しました。2017年12月に、原子力規制委員会は6、7号機に対して新基準に対して適合性を示すと発表しました。地元合意などを経て、東日本大震災後の再稼働へ進む見込みですが、現時点では、1号機~7号機までは稼働しておらず定期検査中の状態です。
ちなみに、日本の原子力発電所の運転・建設状況(2021年1月18日時点)によると、45基の中で4基(福井県大飯原発1基、佐賀県玄海原発1基、鹿児島県川内原発2基)が稼働中です。グーグルマップを観ると柏崎刈羽原子力発電所の周辺には、青山稲荷神社、稲荷神社、熊野三社、善照寺、白山神社、刈羽新池自然観察公園などの寺社や公園がありました。
東京電力の新潟本部長・橘田昌哉、柏崎刈羽原子力発電所長・石井武生、代表執行役社長・小早川智明、柏崎刈羽原子力発電所地下を意図してそれぞれ光を降ろすと「中国」「アークだった」「ガースーみたいな人。やられたらやり返す」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。これで柏崎・千葉構造線の闇の解除は終わったと思っていました。
しかし、まだ終了ではありませんでした。3月1日頃から右下前歯の裏側がスポット的に腫れて痛みが出ました。大きな日本地図を眺めると新潟県の越後白山の辺りかなと思いました。PCで詳細に調べていくと越後白山の麓の「五泉市」と感じました。五泉市のウィキペディアを観ていくと「村松藩」「村松陸軍少年通信兵学校」が目に留まりました。
「村松」の地名は、東海原発のあった東海村村松と同じで、松取りが行われていた土地でした。《村松陸軍少年通信兵学校の創設》を読むと「昭和18年(1943年)6月、村松兵営に駐屯していた歩兵第158聯隊が千島列島松輪島に出動。同年12月、その空いた兵営に村松陸軍少年通信兵学校が創設され、陸軍少年通信兵学校としての第11期生800名が入校。」
「生徒は北海道から鹿児島までと、全国各地から志願してきた、その多くが15歳、16歳の少年達でした。」と記されていました。千島列島松輪島は、《ロシアの調査で謎とされる千島列島・松輪島の旧日本軍の地下要塞》の記事から旧日本軍が松果体収穫を行った可能性が高い島でした。少年兵たちが松取りの犠牲になった光景が浮かびます。
《新潟村松の戦跡散策》には、「村松の昭和の白虎隊」という言葉が刻まれた「戦場に散った少年たちの碑」の写真が載っていました。過去のワークでは、白虎隊の悲劇の美談は、金のために少年兵たちの命を売った会津藩と徳川幕府の松果体収穫の真実を隠すための嘘の闇だと感じています。村松陸軍少年通信兵たちの御魂が上がるよう慰霊碑に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
また、ウィキペディアには「デンカの主要生産拠点が市内におかれ、国内インフルエンザワクチンの2~3割がここで生産されている」とありました。新潟県五泉市にあるデンカの鏡田工場を解除する必要がありました。デンカ株式会社は、日本の総合化学品会社で、三井グループと第一勧銀グループに所属しています。1915年の電気化学工業株式会社の設立が始まりです。
日本のカーバイド工業の祖とされるデンカの創業者・藤山常一、現社長・山本学、鏡田工場に光を降ろすと「中国」「ロスチャ」「いいです。地下工場がありそう」と伴侶が伝えて来ました。現在では、表のワクチン工場と裏の松工場が一体になっていると感じます。柏崎・千葉構造線にほぼ沿うように、利根川と信濃川(千曲川)が流れていました。
利根川と水源の大水上山、信濃川と水源の甲武信ヶ岳にそれぞれ光を降ろしました。最後に柏崎・千葉構造線が開かれるよう意図して光を降ろしました。構造線は、水のエネルギーラインだと感じます。松果体収穫に関係する原発、ワクチン工場は、火のエネルギーです。水を火が封印しているのです。日本の水の道が自由になり、本来の姿になることを願っています。(おわり)