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13日、「メタウォーターが気になる」と伴侶が話して来ました。河北新報によると、メタウォーターは、宮城県の水道事業民営化の優先交渉権者に選定された企業グループの代表です。グループは「水メジャー」の一角、仏ヴェオリア傘下のヴェオリア・ジェネッツやオリックス、東急建設など10社で構成されています。

 

グローバルな水の封印と松利権のネットワークを構成する世界水会議》から、松利権の元締めがフランス・ロスチャイルドであり、水利権も同時に支配していることが分かっています。水という光のエネルギーを封じているのが松果体収穫という火の闇のエネルギーです。最終的に暗闇にするために、金の闇のネットワークで地球の水脈を覆うことになります。

 

メタウォーター関連ワークのための調査でメタウォーター本社を調べると、東京都千代田区神田須田町の万世橋(まんせいばし)の側にありました。万世橋が気になり、ネットで調べると《秋葉原の謎...万世橋の「小部屋&船着き場」は何のために作られた?【前編】》が目に留まりました。【後編】も読みましたが、万世橋には、正体不明の小部屋があるといいます。

 

「それは橋のたもとの地下にある、正体不明のスペースの存在だ。まず1つは、橋の北東側。道路からつながる階段の先には、小さな「船着き場」のようなスペースが。さらにその脇には、重々しい金属製の扉があり、ここから橋の地下部分に入れるらしい。もう1つは、反対の南東側。公衆トイレの真下にあるのは、やはり川に面した小さなスペースと、小部屋への入り口だ」と記されています。

 

地下にある2つの正体不明のスペースには、記録もなく、誰も知らないという秘密でした。ブラタモリでもテーマにして推測したといいます。引用サイトの中では、トイレ、川の水位計などの器具置き場、東京地下鉄建設時に使われた機械室の3つの説が提示されています。万世橋の建造は、日本最古の地下鉄である銀座線のトンネル掘削と同時に行われていました。

 

「実は万世橋のちょうど真下には、東京メトロ銀座線が並行して走っている。この区間の工事が行われたのは192931年。神田川の川底を横断するという一大事業で、そのトンネル掘削は東京市(当時)の手により、ちょうど架け替えが決まっていた万世橋建造と並行して進められた」とあります。私は感覚的に、地下鉄建設の際に東京地下施設を作った証だと思いました。

 

アドレノクロム工場もあるとされる松取りのための東京の地下施設は「東京地下要塞」とも呼ばれます。今は潜水艦のようですが、当時は、松取りの犠牲になる人たちを船で運んでいたと推察されます。船は、東京湾の晴海ふ頭から墨田川に入り神田川を通って運ぶのです。万世橋は、東京都千代田区にある神田川に架かる橋の1つで、中央通り(国道17)上にあります。

 

万世橋のウィキペディアには、「南側より北側が広い橋詰広場や、欄干袂の機械室と船着場は、地下鉄建設時の経緯による」と記載されています。気になったのが、「南詰には万世橋駅や広瀬武夫と杉野孫七の銅像があったが、どちらも現存しない」という一文でした。広瀬武夫と杉野孫七は、いずれも日露戦争のエピソードで知られる海軍軍人です。

 

広瀬武夫(1868-1904)は、日本の海軍軍人、柔道家で、特に戦前は軍神として神格化されました。1897(明治30)にロシアへ留学してロシア語などを学び、貴族社会と交友します。旅順港などの軍事施設も見学し、その後ロシア駐在武官となり、1900(明治33年)に少佐昇進します。日露戦争のエピソードとは、以下のような内容です。

 

「福井丸を指揮して敵駆逐艦の魚雷を受けた。撤退時に広瀬は、自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹がそのまま戻ってこないことに気付いた。広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが見つからなかった。やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。」。

 

さらに、広瀬に関する歌が多数あり、最もよく知られているのは文部省唱歌「廣瀬中佐」とされます。歌詞を見ると完全に悲劇のヒーローに仕立てられており、真実を隠すための作り話だと感じます。杉野孫七(1867-1904)は、大日本帝国海軍軍人で、1891年から「松島」回航委員付としてフランスへ渡りました。回航とは、輸送対象の船舶そのものを操縦してその船舶を輸送することです。

 

松島は日清戦争及び日露戦争で活躍した日本海軍の防護巡洋艦で、フランスで建造されました。杉野は、建造された松島を操縦して日本まで輸送した人物です。「死体が発見されなかったことから生存説がその死の直後から流れていた。日本人が多く暮らした満州では特にその手の噂が多く、甘粕正彦の元で特務機関に所属していたという奇説もある」と記されています。

 

これらのことから、広瀬武夫、杉野孫七ともロスチャイルドの工作員だったと感じます。帝国日本軍において「陸の長州、海の薩摩」と呼ばれ海軍は薩摩が支配していました。《薩摩ワンワールドというディープステートに繋がる秘密結社》にありますが、薩摩はロスチャイルドという欧州の闇と手を組んでいたのです。万世橋に広瀬武夫、杉野孫七の銅像が置かれていたのはヒントだったと感じます。

 

東京地下要塞の建造にロスチャイルドが深く関わっていることを示唆しています。《悲劇の美談として語り継がれる会津戦争の白虎隊》の白虎隊もそうですが、悲劇の美談という嘘で真実を隠蔽するのはロスチャイルドの得意の手法です。現在も続く北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)も同じです。多くの日本の人たちが嘘の闇に気づく時が来ています。(つづく)