3月12日、伴侶が「0133の数字をなぞっている夢を見た」と話して来ました。メモ用紙に薄い字で書かれた「0133」を濃くしないといけないと思い、太い字で上からなぞっていたといいます。「0133」は電話番号の市外局番だと感じて調べると「北海道石狩郡当別町」でした。当別町は、北海道開拓で闇にされた水の地で、気になっていた場所です。
また、テレビのCMやコメンテーターから北海道医療大学がある場所だと分かっていました。北海道医療大学、当別町について調査とワークを行うことにしました。北海道医療大学は、1974年に設置された、北海道石狩郡当別町金沢に本部を置く日本の私立大学です。北海道石狩郡当別町では唯一の私立大学です。
1974年2月に佐々木真太郎が中心となり、当時の北海道知事・堂垣内尚弘が協力して、東日本学園大学として北海道石狩郡当別町に設立されました。当初は佐々木の息子・糸山英太郎が所有する音別町(現・釧路市)の土地に学園都市を構想し、雄別炭鉱尺別鉱業所が閉山された事による国から音別町への交付金より一部の支援を受け、音別校舎(教養部)を設置しました。
大学機能の大半が当別町に置かれていたことから、1985年に音別校舎を廃止し当別町へ移転・統合しました。1994年には現行の「北海道医療大学」と改名しました。「保健・医療・福祉の連携と統合」を教育理念とし、薬学部、歯学部、看護福祉学部、心理科学部、リハビリテーション科学部の5学部8学科からなる医療系総合大学として独自のカリキュラムを構成しています。
佐々木真太郎について、《近代名士家系大観》には、「明治35、佐々木文平、いわの二男 東京高等主計学校卒 新日本観光興業社主、日本ゴルフ場連盟理事長、東日本学園大、相模工科大各会頭 非嫡出子・糸山英太郎(昭和17生、生母・糸山道子、日大経済卒、衆議院議員)は大阪日日新聞社社主・笹川了平長女・桃子(昭和23生、帝塚山学院大卒)と婚姻す」と記されています。
堂垣内尚弘(1914年-2004年)は、日本の技術官僚・政治家です。東日本学園大学の名付け親で、学校法人東日本学園名誉理事長です。1938年、北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業し、海軍省建設局に勤務します。1946年、北海道庁に勤務し、その後北海道開発庁へ出向し、1965年、同庁事務次官となります。
1967年に北海道開発庁退官し、1971年に町村金五の後継として保守陣営から北海道知事に当選し3期務めました。真宗大谷派の門徒でもあります。糸山英太郎(1942年-)は、日本の政治家、実業家です。1942年、佐々木真太郎と糸山道子との間に生まれました。1969年、新日本観光株式会社代表取締役に就任します。
1970年、父・佐々木真太郎と笹川良一が友人だった関係から、笹川の姪と結婚します。後の総理大臣・中曽根康弘の秘書を経て、1974年、石原慎太郎の後押しにより自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区出馬、32歳で参議院議員に初当選しましたが、選挙期間中から金権選挙振りがマスコミの耳目を集めました。
さらに当選直後に大規模な選挙違反が発覚、選対本部長を始め経営していた会社の社員・ギャンブル関係者など142人が逮捕され、1287人が検挙されるという当時としては最大規模の選挙違反事件に発展しました。過去のワークから、笹川良一は、日本船舶振興会(現・日本財団)トップで、国際勝共連合名誉会長でもあり、松利権を有していたことが分かっています。
笹川良一と友人だった佐々木真太郎が創設した北海道医療大学も松利権に関係していることが推察されます。学校法人東日本学園理事長・東郷重興、北海道医療大学学長・浅香正博に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国」「松喰い」と伴侶が伝えて来ました。創設者・佐々木真太郎、堂垣内尚弘、糸山英太郎にも光を降ろしました。
「満鉄系」「工作員」「金。反社。松」と伝えられました。最後に、北海道医療大学の校舎とキャンパスに光を降ろすと「いいです。地下がある」と伴侶が伝えて来ました。当別町の地は、北海道開拓の時から麻栽培が行われ麻薬と関係していると思っていましたが、薬だけではなく、松の収穫も行われて来たと感じて、当別町の歴史を調べていきました。(つづく)