3月5日、左臀部の座骨に痛みを覚えました。臀部は九州なので、九州の西側に光を降ろすべき場所があるようでした。ワークの流れ的には、松果体収穫による水の場所の封印を解除することが多くなっていたので、川や湖沼、湧水などの水の場所だと思いました。壁に貼った大きな地図を観てから、グーグルマップで調べていくと「川内川(せんだいがわ)」だと感じました。
川内川は、熊本県最南部、宮崎県南西部および鹿児島県北西部を流れ、東シナ海に注ぐ川内川水系の本流で、一級河川です。九州山地の白髪岳(標高1417m)南麓に発し南流、程なく宮崎県に入ります。加久藤盆地を西流して鹿児島県に入り、一旦南流して、湧水町栗野で再び西流して、大口盆地を潤します。伊佐市からは概ね南西流、薩摩川内市西方で東シナ海に注ぎます。
河口両岸には九州電力の川内発電所および川内原子力発電所が立地します。鹿児島県での流域は県下有数の米作地で、また伊佐市菱刈の菱刈鉱山では金も産出します。水のエネルギーを封じる火のエネルギーとしての役割の施設は、川内原発だと感じました。川内原子力発電所は、鹿児島県薩摩川内市久見崎町にある九州電力の加圧水型の原子力発電所です。
川内原子力発電所の原子炉は、1号機、2号機の2つであり、営業運転開始は、1984年7月、1985年11月です。2011年に東日本大震災後の最初の定期点検で1・2号機が運転停止した後、長く稼働されませんでしたが、2013年7月に国が定めた新規制基準に基づく審査を経て、2015年8月と9月にそれぞれ再稼働しました。新規制基準に基づく再稼動は日本で初めてです。
《柏崎千葉構造線から直感した表の原発と裏のアドレノクロム工場の構図》にありますが、日本の原発の地下では松果体収穫の闇となるアドレノクロム工場になっている可能性があると感じていました。地上から見つかりにくい地下を使った非常に巧妙な闇の仕組になっています。大きな川の水のエネルギーを封じて、同時に海岸線を闇で固めるのです。
また、薩摩藩は、「裏インドの闇」の中心であり、九州に数多くの地下壕が存在しています。それ故、鹿児島県を主に、松取りの拠点が多く存在していたと感じます。そういう意味でも、川内原発が日本で最初に再稼働したことは納得できます。川内川の源流である熊本県の白髪岳に光を降ろすと「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。
九州電力株式会社は、日本の電力会社で、九州地方や広島県の一部に電力を販売しているほか、海外事業も展開しています。 また子会社の「九電みらいエナジー」は九州以外に、関東地方での電力販売や、福島県、山口県などでの再生可能エネルギー発電プロジェクトを展開しています。九州電力の会長・瓜生道明に光を降ろすと「アークの残骸」と伝えられました。
過去のワークから原子力発電などの電力会社の背後にはアークがいて、アークの配下でタコの宇宙人が働いていることが分かっていました。既にアークもタコの宇宙人たちも光に統合していました。川内原子力発電所と川内川全体に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。川内川の解除ワークが終わったと思いましたが、まだ、左臀部の痛みが続いていました。
3月10日、川内川に関するワークを再度、行う必要を感じて、川内川沿いの施設を地図で調べていきました。「曽木発電所遺構(曽木発電所跡)」が目につきました。曽木発電所遺構は、曽木の滝より下流1.5キロメートルの所にある水力発電所の遺構です。1906年(明治39年)、日窒コンツェルンの創始者である野口遵(のぐちしたがう)が牛尾大口金山に電力を供給するために作りました。
当時としては大規模な6,700キロワット(最大出力)の電力を作りだし、余剰電力を使い水俣ではカーバイト生産を開始しました。後に、戦前における日本最大の化学会社へと発展したことから、この発電所は日本化学工場発祥の地といわれています。昭和40年に鶴田ダムの完成と同時に水没してしまいました。「野口遵」という人物が重要なキーになると感じました。(つづく)