
知人が北海道がんセンターで精密検査を受けることになり、「がんセンター」関連の調査とワークを行いました。20年程前、私の母親も静岡のがんセンターで他界しています。抗がん剤治療後に容体が激変したのを覚えています。個人的には、がんは人間によって意図的に生み出された病であり、金儲けのための医療の闇における象徴的な病気だと感じています。
《おなかの健康ドットコム》には、「厚生労働省は、2018年(平成30年)の日本人の死因で最も多かったのはがん(悪性新生物)であると発表しました。亡くなった方の実に約3割が、がんが原因であったということです。これは、日本人の約3人に1人ががんで亡くなっている計算です。がんは、1981年(昭和56年)から30年以上、ずっと日本人の死因の第1位を独走しています」と記されています。
国立病院機構北海道がんセンターは、札幌市白石区菊水にある病院です。北海道内唯一の「都道府県がん診療連携拠点病院」に指定されており、札幌市内のみならず北海道全域をカバーしています。1896年(明治29年)に、「札幌衛戍(えいじゅ)病院」(その後札幌陸軍病院)として月寒に開院します。1945年(昭和20年)に、厚生省(現在の厚生労働省)に移管し、「国立札幌病院」と改称しました。
衛戍とは、大日本帝国陸軍において陸軍軍隊が永久に一つの地に配備駐屯することをいい、その土地を衛戍地と称しました。北海道がんセンターは、帝国陸軍と関係しており、松果体収穫の闇を引継いでいると感じます。札幌衛戍病院が開院した月寒は、《軍都として封印された光の街》でワークを行っており、光を降ろすと「とても暗い闇」と伴侶が伝えて来ました。
とても暗い闇の原因は、秘密裏に松取りが行われ、隠蔽された深い闇だからです。月寒は、札幌市豊平区の地域で、陸軍第7師団歩兵第25連隊が駐屯していた基地の町で軍都でした。本来、水の場所という光を封じるために軍都の闇を置かれたのです。北海道がんセンターの院長・加藤秀則と病院棟に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国工作員」「いいです」と伝えられました。
ウィキペディアによると、がんセンターとは、がんの診療および研究を専門的に行っている日本の施設の名称です。2005年5月現在、がんセンターの名称を持つ施設は国内に16カ所あります。地域におけるがん医療の中核施設として、質の高い医療の提供、地域の医療機関や住民への情報発信、がん専門医の育成などの役割を担っています。
日本におけるがん研究の専門機関は、国公立施設以外にも公益財団法人がん研究会及びその関係施設などの民間研究機関、そして各地の大学医学部・医科大学及びその付属病院等が、がん研究機関として「がんセンター」の名称を有する施設など多数存在します。ワークの対象として国立がん研究センター、公益財団法人がん研究会、静岡がんセンターを選びました。
国立研究開発法人国立がん研究センターは、日本の国立研究開発法人です。国立高度専門医療研究センター(ナショナルセンター)の一つであり、日本におけるがん征圧の中核拠点として、がんその他の悪性新生物に対する診療、研究、技術開発、治験、調査、政策提言、人材育成、情報提供を行います。厚生労働省直営の施設等機関の旧国立がんセンターは、2010年からの独立行政法人化しました。
その後、数々の改革を経て、2015年から国立研究開発法人に移行しています。1959年、厚生省が「がんセンター」を発表し、翌1960年、「国立がんセンター設立準備委員会」が立ち上げられました。当初の計画が大幅にずれ込み、1962年5月、センター病院が開院しました。国立がんセンターの発案者は、広島県出身の厚生大臣・灘尾弘吉(1899年-1994年)です。
灘尾弘吉の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松利権」と伴侶が伝えて来ました。やはり国立がん研究センターの発案者が松利権を有していたのです。また、初代総長の田宮猛雄(1889年-1963年)は、東京大学医学部長、日本医師会会長でもありました。田宮猛雄の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「731の闇。実験大好き」と伝えられました。
田宮猛雄について調べると《731からフクシマまで!!》がありました。「東京帝国大学にあって731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた」「田宮委員会が水俣病の原因究明を後退させた影響は大きく、新潟における第二水俣病の発生を許す一因にもなったと考えられている」と記されています。水俣病と731部隊の闇を担っていた人物だったのです。(つづく)