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15日の昼過ぎ、突然、右手首の外側に強い痛みを覚えました。右手に物を持つと痛んで、ワークのサインだと思いました。右手首の外側は、房総半島の先の方の海岸沿いでした。部屋の壁に貼ってある大きな日本地図を観ると「鴨川市」と感じました。最近、「加茂」「賀茂」「鴨」という「かも」のワードがよく入ってきていました。「鴨川市」の名前の由来を調べてみました。

 

ネット情報によると「市名は加茂川にちなむ。川名の由来は房総に逃げ延びてきたという天智天皇の息子・大友皇子のゆかりの者が住んだ大裏屋敷が大里(だいり)にあったと言われることから、川名も京都の加茂川にちなんだと伝えられる」と記されていました。房総半島には、壬申の乱で大海人皇子に敗れて自害したとされる大友皇子が逃げて来たという伝説があります。

 

京都と縁が深い地でした。20191月の南房総市の賀茂神社のワークでは、火の生贄になった子供たちの御魂を上げました。火の生贄とは、今では、松取りされて遺体を火で焼いて証拠を隠滅したと分かります。今回のサインも松果体収穫の闇に関係していると感じました。鴨川市の海岸線の細部をグーグルマップで眺めていくと「鴨川松島」と「亀田医療大学」が気になりました。

 

鴨川松島は、千葉県鴨川市の太平洋にある荒島・弁天島・鵜島・雀島・波涛根島・猪貝島・海獺島の大小7つの島の総称です。日本三景の松島をイメージさせる景観から外房を代表する観光地の1つで、新日本百景にも選ばれています。《松島要塞地下壕が存在した松取り場所としての宮城県・松島の地》にありますが、本家東北の「松島」は松取りの場であることが分かっています。

 

鴨川松島も同様に松の場所であることが推察できます。そもそも風光明媚な海岸や離島は、松取りに恰好な場所であり、海岸線を闇で封印する意味があります。それ故に、松果体摂取を目的とする皇族や権力者の保養地となることが多いです。グーグルマップの航空写真地図の鴨川松島を観ていると、南側にある「仁右衛門島(にえもんじま)」が目に留まりました。

 

仁右衛門島は、千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある、周囲約4kmの島で、千葉県では最も大きな島かつ唯一の有人島です。源頼朝や日蓮の伝説で知られ、個人所有ですが千葉県指定名勝となっているほか、新日本百景にも選ばれています。治承4(1180)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、この島で一時身を隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられます。

 

現在に至るまで平野仁右衛門一族がこの島を守り伝えています。島の東部には日蓮が朝日を拝したと伝えられる神楽岩や石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟があり、正一位福女稲荷大明神が祀られています。近くには、源頼朝が主祭神である「白旗神社」もありました。日蓮や源頼朝にちなんだ伝説から仁右衛門島は、松取り場であったと感じます。

 

正一位福女稲荷大明神の側に「頼朝隠れ岩」の洞窟がありました。闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。鴨川松島、仁右衛門島やその近辺の海岸沿いは、古くから松取りの闇が置かれている場所で、現在に引継がれていると感じました。「亀田医療大学」は、鴨川の松取りの闇を引継ぐ施設の候補でした。

 

亀田医療大学は、千葉県鴨川市横渚に本部を置く私立大学です。2012年に設置され、亀田総合病院の亀田グループに属します。前身は1954(昭和29)に開校した亀田病院准看護婦学校で、1966(昭和41)に民間初の看護師学校を2年課程で設置し、1979(昭和54)3年課程の専修学校の認可を受けました。亀田医療大学の本体である亀田グループを対象にしました。

 

亀田グループは、医療、福祉・介護、教育を3つの柱とした幅広い領域のサービス、ビジネスを展開しています。その中で医療サービスの領域の「亀田メディカルセンター」は、亀田総合病院を中心とした、亀田クリニック、亀田リハビリテーション病院などの医療サービス施設の総称です。千葉県南部に位置し、基幹病院としての役割を担っています。

 

亀田総合病院は、千葉県鴨川市にある私立総合病院です。亀田メディカルセンターの中核施設で、千葉県南部の救命医療を担う基幹病院として1985(昭和60)に救命救急センターに指定されました。病院グループは亀田家がファミリービジネスとして経営しており、創業者の亀田俊孝は1982(昭和57)に院長職を退いで子息が後継しています。(つづく)