
千歳市には航空自衛隊と陸上自衛隊の基地があります。その中の大きな基地は、航空自衛隊の千歳基地と陸上自衛隊の東千歳駐屯地です。千歳基地は、北海道千歳市にある航空自衛隊の基地で、民間機も含めて航空管制は航空自衛隊が一元的に行なっています。日本の北端を担当する第2航空団が置かれています。
基地司令は第2航空団司令が兼務します。空自衛隊にとっては、かつてのソビエト連邦、継承国のロシアと対峙する最前線の基地で、地元市民からは「2空団」と呼ばれています。 航空自衛隊基地としては、アメリカ軍から返還後の1957年に開庁しました。東千歳駐屯地は、北海道千歳市祝梅に所在し、第7師団司令部等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地です。
総敷地面積約590万m2という陸自最大の敷地面積を誇り、師団の隷下部隊の多くや陸自最大の普通科連隊をはじめ、陸自最大級の高射特科団をはじめする北部方面隊直轄部隊の多くが駐屯し、北部方面隊の中核をなす駐屯地となっています。駐屯地司令は、第7師団副師団長が兼務します。周辺の市民からは「東部隊」と呼ばれています。
ウィキペディアに「千歳飛行場付近には日本国内で最も低い標高25 m前後の分水嶺がある」と記されていたので、調べてみました。分水嶺とは、水(川)の流れが変わる境界となっている山陵です。この山稜を隔てて流れ下る沢は下流でも交わることなく別々の川となって海まで注いでいます。《北海道の大分水嶺》には「陸自の東千歳駐屯地や、千歳空港の滑走路が分水界を不明にしている」とありました。
このことは、自衛隊基地が出来たことで水の流れ難くなっていると感じます。元来、千歳は湧水の地であり、南側の苫小牧から千歳を通って石狩平野の旭川までの水の道の中間点となる大事な場所です。千歳市の自衛隊基地は水のエネルギーの流れを堰き止める意味があると思います。千歳基地と東千歳駐屯地のトップと場所のワークを行うことにしました。
グーグルマップで観ると千歳基地と東千歳駐屯地は隣接しています。千歳基地トップの千歳基地司令兼第2航空団司令・德重広為智(とくしげこういち)空将補と千歳基地に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「アーク。Qの可能性がある」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。東千歳駐屯地トップの第7師団長・中村裕亮陸将と東千歳駐屯地に光を降ろしました。
「上級の人。Qの可能性」「通信場所」と伝えられました。千歳市にある自衛隊基地のトップがQであれば、自衛隊全体が、米軍と同様に闇を終わらせる役割に変わっている可能性があります。闇の仕組としての松システムを作った軍隊が、その松システムを壊す仕事をしているのです。アドレノクロムの闇のネットワークの構築は、軍隊がその中心的な役割を担って来ました。
軍隊を背後でサポートしていたのがアーク(アークトゥルス)の宇宙人です。闇の仕事をして来たアークが統合し、構築して来た闇の仕組を壊す水面下の軍事作戦「Q」が遂行されています。日本の軍隊は、旧日本軍、米軍(在日米軍)、自衛隊に引継がれてきました。千歳市の自衛隊基地の歴史を振返り、ワークを行う必要性を感じました。
東千歳駐屯地のウィキペディアの沿革の日本海軍の項目に「1942年(昭和17年):水谷政次郎が農場用地を大日本帝国海軍に寄付、第2千歳飛行場滑走路(800m)を整備し後に1300mに延伸。 1943年(昭和18年)9月6日:東京商科大学北遣隊により第2千歳飛行場誘導路完成」と記されていました。「水谷政次郎」と「東京商科大学」がキーワードです。
千歳飛行場の建設に日本海軍が深く関わっていたことが分かります。《ロシアの調査で謎とされる千島列島・松輪島の旧日本軍の地下要塞》などのワークから日本海軍は基地建設などを通じて松果体収穫を行っていたと感じます。何故、水谷政次郎が農場用地を海軍に寄付したのか、どうして東京商科大学が千歳飛行場建設に動員されたのかが疑問になります。(つづく)