
4月23日、クライアントの方の電話セッションで「東京に残っているワニの宇宙人を探して光に還して欲しい」と伝えられていました。《ワニの宇宙人の居残り隊を探してくれ》の記事にセッション内容を記載していますが、「居残り隊」とは、まだ光に統合されないで地球に残っているワニの宇宙人たちを指します。場所についてのヒントも与えられていました。
「東京タワー」「水道橋」の2つです。その日のセッション後に、買物に出かけていた伴侶が帰宅すると「玄関の前に土があったのよ。隣の子供か誰かが持ってきたのかな」と伝えて来ました。一掴み位の量の土が玄関ドアの側に無造作に置かれていたといいます。集合住宅なので土があることは不可解でした。でも、私にとっては「土がある所」というヒントだと思いました。
翌日、「東京タワー」「水道橋」「土」の3つのワードのヒントを得て、グーグルマップを観ながら光を降ろす場所を探していきました。「東京タワー」の周辺で土がある場所は、すぐに「芝公園」だと感じました。ウィキペディアには、『芝公園は増上寺を中心とした緑地帯(都立公園)であり、1873年(明治6年)の開園と、東京都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園である。
元々は増上寺境内の敷地を公園としていた。しかし戦後の政教分離の考えにより、増上寺の敷地とは独立して宗教色のない都立公園として新たに遊具や運動施設などが設けられ、整備された。そのため、現在の公園の敷地は増上寺を取り囲むような形状になっている。公園内にホテル、学校、図書館などの施設が点在するほか、グラウンドや散策路などがあり広大な公園施設となっている。
また、園内には前方後円墳の芝丸山古墳、丸山貝塚もある。古くはこの地は飯倉御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園であった』と記されています。芝公園には芝給水所公園芝浄水池跡もあります。古墳や伊勢神宮の荘園であったので、昔から松果体収穫が行われていた場所でした。ワニの宇宙人が光に還るよう意図して光を降ろすと足が温かくなり、光が入ったと分かりました。念のために東京タワーの周辺の公園等もピックアップしました。
浜離宮恩賜庭園、有栖川宮記念公園、東京都庭園美術館、日比谷公園、赤坂御用地、新宿御苑、代々木公園にも闇の解除・統合を兼ねて光を降ろしました。次は「水道橋」です。水道橋は、東京都千代田区と文京区の間を流れる神田川に架かる橋です。この橋名は、江戸時代に神田上水が神田川を跨ぐ地点に設置されていた懸樋(かけひ)である神田上水懸樋に由来します。
東京の水のラインを封じるためにワニの宇宙人が置かれていることが分かります。グーグルマップで水道橋周辺の公園を探すと東京ドームに隣接した「小石川後楽園」だと感じました。ウィキペディアには、『小石川後楽園は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)である。国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。1869年(明治2年)の版籍奉還により水戸藩邸は新政府によって接収され、敷地の東側に軍事工場である東京砲兵工廠が建設された。西側の庭園部分は保存されることになった。
1872年、陸軍省が設立され、工場と庭園の管理を担当した。1874年(明治7年)以降、明治天皇の行幸および皇族の行啓を受けた』とあります。小石川後楽園の地は、加賀藩(石川県)の兼六園と同様に大名庭園であった歴史があり、やはり、昔から松果体収穫が行われていた場所でした。小石川後楽園のワニの宇宙人が光に還るよう光を降ろすと足が温かくなりました。
その他に、水道橋周辺の公園として小石川植物園、上野恩賜公園、皇居を選び、光を降ろしました。ワニの居残り隊のワークを終えた3日後、父親のスマホからメッセージが届いていました。驚くことに「、」だけのメッセージでした。「、」は「天」の意味で、「ワニの居残り隊が天に還った」と教えてくれるユーモアのあるメッセージでした。以前にも「わわ」というメッセージがありました。
今にして思えば、ワニの宇宙人が変身していた渡来人の和邇氏が、過去のワークから、男性と女性が2人で1人の姿だと分かりました。松取り工作員として男にも女にも成りすますことができるのです。「私」が2人で、「ワニ」になります。松果体収穫の真実を隠蔽する工作の闇の役割だったワニの宇宙人が統合することは、闇の秘密が明るみになることを意味します。東京の地が開かれて日本が光になることを願っています。