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自由同和会奈良県本部の公式サイトに「自由同和会中央本部役員名簿(令和元年・23年度)」が掲載されていました。自由同和会中央本部役員は、中央本部執行部(12)以下、四国ブロック(2)、近畿ブロック(26)、東海ブロック(4)、関東ブロック(27)、九州ブロック(10)の各理事と監事2名の合計83名で構成されています。

 

中央本部執行部は、会長(1)、副会長(2名)、事務局長(1)及び各担当に分かれています。ワークの対象として、会長・川上高幸(東京都本部)、副会長・上田藤兵衛(京都府本部)、副会長・野口賢二(佐賀県本部)、事務局長・平河秀樹(中央本部)を選びました。自由同和会中央本部執行部の会長、副会長、副会長、事務局長に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「確保済みかもしれない」「もうやられている」「同和」「ヤクザ同和」と伴侶が伝えて来ました。自由同和会の前身となる「全日本同和会」も気になりました。ウィキペディアには、『全日本同和会とは、かつて自民党と連帯していた保守系の同和団体。全国本部は東京都千代田区永田町2丁目17番地10号に存在する。全国水平社に対抗する「融和運動」を行なっていた中央融和事業協会の流れを継ぐ。

 

195111月、近畿・中国・四国・九州などの地方公共団体の同和対策関係職員を中心に全日本同和対策協議会が誕生。以後数年間、全日本同和対策協議会は部落解放同盟と手を結び、政府に対して同和対策の積極的実施を要請していたが、やがて指導理念の相違から決裂。全日本同和会は、その全日本同和対策協議会の後身として19605月に生まれた。

 

6人の顧問はすべて自由民主党の衆院議員や参院議員により占められており、初代会長の柳井政雄と事務局長の土岡喜代一は、いずれも解放同盟からの除名者であった。歴史的には解放同盟に次いで古い全国的組織であり、1960年設置の同和対策審議会や1966年設置の同和対策協議会には同盟と共に委員を送るなど、保守系の同和団体として自民党の支持を背景に勢力を伸ばした。

 

組織人員は日本最大を誇り、全国大会などには多くの自民党国会議員や秘書が列席する隆盛ぶりだった。しかし第19回全国大会で松尾正信を筆頭とする「暴力・利権派」が主導権を握ってから、急速に不法行為が増加。1981年には、松尾会長などが部落解放同盟福岡県連合会と共に起こした北九州土地転がし事件が発覚。1983年頃から松尾会長の独裁体制に対して不満が高まった。

 

さらに各地で同和会幹部が利権あさりで逮捕されるなど不祥事が続発したため組織内部に亀裂が生じ、1986720日、同和会から全国自由同和会が分裂。これに伴って同和会は、国や地域改善対策協議会の対応団体から外されると共に、自民党からも連帯関係を全自同に移されたが、自民党タカ派の一部との結合は保たれた』と記されています。

 

全日本同和会の初代会長・柳井政雄は「ユニクロ」と繋がっていました。『柳井政雄(1908-1998)は部落解放運動家、実業家、政治家、ヤクザ。ユニクロの前身となった小郡商事の代表者。全日本同和会初代会長、同山口県連合会会長、山口県部落対策審議会委員、総理府同和対策協議会ならびに同和対策審議会委員、山口市議会議員、山口県議会議員、田中龍夫後援会会長などを歴任した。ユニクロ会長の柳井正の父である柳井等の兄にあたる』とwikiにあります。

 

繊維産業の闇に光をあてる》のワークでは、ユニクロのトップは「李一族。黄色と青色の同和」と伝えられていたので、朝鮮半島の反社がベースとなっていることが分かります。全日本同和会のワークの対象を初代会長・柳井政雄、現会長・松尾信悟、全国事務局長:村上駿太郎を選び、光を降ろすと「いいです。ワニ」「同和」「えげつない」と伝えられました。

 

「ワニ」は、ワニの宇宙人、渡来人の和邇氏を意味します。全日本同和会 東京都連合会 公式HPに平成30517日 全日本同和会「第59回 全国大会」の様子が綴られており、武田良太総務大臣や細田博之清和会会長など8名の国会議員が来賓などで祝辞を述べたと画像と共に記載されています。また、当日の全国大会の参加者画像には、なべおさみもいました。

 

「基調講演は、俳優のなべおさみ氏によって「同和問題は永遠に」との演目で、一時間を超えて行われました」とあります。《池江璃花子選手に奇跡の石を授けたなべおさみと裏工作の力を持つワニの宇宙人》のワークでは、なべおさみは「金。エゴ。ワニ」と伝えられていました。地下の底に潜んでいた最強のレプタリアンであるワニの宇宙人が、金という松利権のガードマンである反社や同和の人間をサポートして来たのです。裏世界の闇に光に入ることを願っています。(おわり)