5月30日、朝起きると奈良の知人の夢を見たことを覚えていました。前日にもサラリーマン時代に取引先だった出光興産の知人の夢を見て、知人と創業者の出光佐三に光を降ろしていました。出光の知人は、満鉄(南満州鉄道)関係の過去世で深い縁があったと感じていました。今回の奈良の知人は、2011年-2012年にかけて奈良で出張ヒプノセラピーのサポートをしてくれた方でした。
奈良の知人のワークの対象は何か思案すると、知人が勉強していたキリスト教関係の講座である「A Course in Miracles(奇跡のコース)」だと感じました。知人は仏教とキリスト教に関係が深く、宗教という支配の闇の役割のワニの宇宙人がいると感じて、闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。知人とは別に、「A Course in Miracles(奇跡のコース)」について調べてワークを行う必要性を感じました。
ACIM(A Course in Miracles)のwikiには、『書籍「A Course
in Miracles」(1976年出版。邦訳:奇跡のコース、奇跡講座)の略称で、この書籍による独習過程も指す。単にコースとも呼ばれる。アメリカ人心理学者ヘレン・シャックマンが、イエス・キリストと思われる内なる声を聞いて書いたとされる、英語のスピリチュアリティ文書である。
世界は幻影であり自らの外には何も存在せず、己が神と一体であるという、古代インドのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ的な非二元論思想が説かれている。この作品の最大の前提は、人生で達成できる最大の「奇跡」は「愛の存在を知ること」である、という教えである。神と一体となることで、愛を知るとされる。ニューエイジで広く読まれ、バイブル的存在だった。奇跡の学習コース、奇跡の道などとも訳される。
1965年、ニューヨークのコロンビア大学長老派医療センターの博士で、無神論者だったフロイト派のヘレン・シャックマン助教授(医療心理学)が、自らの内部からの声を聞いて速記し、彼女が所属していた心理学部の学部長ウィリアム・セットフォード教授(臨床心理学)に読み聞かせ、彼がタイプし編集した。最初に受け取ったメッセージには「実在するものは脅かされない。実在しないものは存在しない。ここに神の平安がある」という中心テーマが含まれていた。
声はイエス・キリストによるものであることがほのめかされている。まとめられたテキストが友人たちの間で人気になり、1975年にケネス・ワプニック(Kenneth Wapnick)博士(臨床心理学)が校正し、ニューヨーク大学のジュディス・スカッチ教授(実験心理学)が出版のために内なる平安のための財団(The Foundation for Inner Peace、FIP)を設立した』と記されています。
キリスト教などの宗教は、外側に崇めるものを置いて人間を支配する暗闇の役割です。本来、人間は自分の中に魂という一番大切な光を持っています。自分の外側に神仏というものを置くことで、自分の中にある魂という一番大切な光を忘れさせるようにします。外側の目に見えるものを追うようにして、自分の心で目に見えない大切なものを感じることをさせないためです。
それは、外に求めて内に入らないようにすることを意味します。外側の神仏を一番大事にして、自分を二の次にするのです。自分を一番に愛すること、一番大切にするという最も重要なことを忘れて暗闇の箱に入ることになります。最終的には、自分を明け渡すことになり、従属すること、操られることに繋がります。「神」「奇跡」「愛の存在」という言葉自体が外側に向かわせることに繋がります。
ACIMの創始者のヘレン・シャックマン(Helen Schucman:1909年-1981年)、ウィリアム・セットフォード(William Thetford:1923年-1988年)とテキスト校正者のケネス・ワプニック(Kenneth Wapnick:1942年-2013年)に御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「トカゲ」「同和」「テキストを読むと罠にかかる。術。ワニ」と伴侶が伝えて来ました。やはりプレアデスのワニの宇宙人が関係していました。
「内なる平安のための財団」の公式サイトを観るとトップページの最下部に「瞬きして光を放つ目玉の画像」が置かれていました。目玉は、「プロビデンスの目」「ホルスの目」とされ「支配」「監視」「金」「松果体」を意味します。財団の取締役会長のジュディス・スクッチ・ウィットソン、共同会長のロバート・ローゼンタール博士に光を降ろすと「魔法使い」「参謀」と伝えられました。
キリスト教は、世界の宗教の源流であり、魂の光を封じる役割でした。現実的には、裏の松果体収穫の闇を隠す隠れ蓑としての表で清廉潔白さを訴える宗教でした。ACIM(A Course in Miracles)は、魂を持つ多くの人たちが深い闇を経験して大きな光になるための闇の役割だったと感じます。宗教という支配の闇の仕組が終わり、真実と自由という光が広がっていくことを願っています。