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北海道の倶知安町のワークの記事《ロスチャイルド工作員の首長と金の闇で封印された羊蹄山麓・倶知安の地》の中で、倶知安町の文字一志(もんじかずし)町長の出身校の北海学園北見大学(現・北海商科大学)が気になっていました。過去のワークから、開拓時代の北海道大学をはじめ、北海道の大学の多くが闇の役割を担っていることが分かっています。

 

北海商科大学(旧・北海学園北見大学)も闇の役割だと感じ、調査と関連のワークを行うことにしました。北海商科大学は、北海道札幌市豊平区豊平に本部を置く日本の私立大学です。1977年、学校法人北海学園によって設置され、北海道北見市に北海学園北見大学として開学しました。2006年に札幌へ移転したことに伴い、名称を変更しました。

 

北海学園北見大学時代は、道東オホーツク圏の拠点都市北見市からの要請を受け、学校法人北海学園と北見市が協力し設置した「公私協力方式」の大学です。「地域に根ざし、世界に目を向ける人材を育成する」を設置目的としていました。札幌移転後の現在は、「急速な発展を遂げる東アジアや中国を基点とする国際ビジネス、国際観光に対応した人材育成を行う」としています。

 

学校法人北海学園が、現在運営している学校は、北海学園大学、北海商科大学、北海高等学校、北海学園札幌高等学校です。国際交流として、中国3大学、韓国2大学、カナダ2大学、ロシア4大学、モンゴル1大学と国際交流協定を結び、交換留学事業を行っています。北海学園北見大学の初代学長は、高倉新一郎です。

 

高倉新一郎(1902-1990)は、北海道帯広市出身の農業経済学者、歴史学者で、北海道大学名誉教授でした。農業経済学・北海道史・アイヌ文化史を専攻しており、農学博士(1945年北海道帝国大学)です。父は十勝の産業振興に尽くした実業家で、北海道議会議員も務めた高倉安次郎です。高倉新一郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伴侶が伝えて来ました。

 

高倉新一郎の父・高倉安次郎も重要な闇の役割をした人物だと感じて調べていくと《ミツカン 水の文化センター》に行き当たりました。十勝の農業や産業に大きな貢献を残した開拓資本家である高倉安次郎、十勝毎日新聞社の創業者の林豊州(はやしほうしゅう)、依田勉三を十勝開拓の祖として宣伝した経済人の中島武市(なかじまぶいち)3人が顔写真と共に掲載されていました。

 

現実的に経済的発展に寄与したことは、十勝を金の闇のエネルギーで覆ったことになります。高倉安次郎(1873-1933)は、1899(明治32)、滋賀県から北海道の帯広に移住し、雑貨店を開業しました。牧場経営や肥料の販売で事業を広げ、十勝国産牛馬組合、帯広農産商組合などを設立して十勝の産業振興に尽くしたとされます。

 

林豊州は、1909(明治42)、大分県から移住した十勝毎日新聞社の創業者です。十勝毎日新聞は、帯広市を中心とした十勝管内では普及率が高く、同管内での発行部数と市場占有率では北海道内で7割のシェアを持つとされる北海道新聞を上回るといいます。中島武市(1897-1978)は、岐阜県出身の実業家・政治家です。

 

シンガーソングライターの中島みゆきは孫(武市の長男の第一子)にあたります。《北海道 自然を封じる役割だった開拓団「晩成社」~巡礼の旅(508)~》では、20196月に十勝を訪れ、依田勉三が設立した開拓団「晩成社」の関連ワークを行っていました。ワークから依田勉三自身が十勝の光を封じる闇の役割の工作員だったことが分かります。

 

高倉安次郎、林豊州、中島武市の御魂が上がるよう意図して、それぞれに光を降ろすと「官。売国奴」「売国奴」「半島同和」と伝えられました。実質的に闇を広げる工作員です。本来、十勝は、北海道の中でも豊かな自然のある大きな光の場所です。十勝の開拓は、北海道開拓と同様に、アイヌ民族、開拓の人々の松取りや薬などの裏の金儲けの闇が隠されて来たのです。(つづく)