Konjikido-Ooido


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30日、収納棚にしまっていた鉄瓶の箱のラベルが目に入りました。「世界遺産 平泉 南部鉄器専門店 弁慶松」と書かれていました。「」と「平泉」は毛筆の書体でした。南部鉄器が「禅宗」「弁慶」「松取り」「和邇氏」と繋がっていると感じました。南部鉄器の鉄瓶は、201311月の岩手巡礼の旅の時に、平泉市の「弁慶松」の店で購入しました。

 

岩手巡礼の旅では、平泉市の達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやびしゃもんどう)と高館義経堂(たかだちぎけいどう)を訪れ、主に龍を解放するワークを行っていました。《岩手 達谷窟毘沙門堂 高館義経堂 ~巡礼の旅(13)~》には、その時のワークの様子を綴っています。達谷窟毘沙門堂で「分かって欲しい、分かって欲しい」とアテルイと思われる蝦夷の人が伝えて来ました。

 

当時は分かりませんでしたが、達谷窟毘沙門堂は、先住民の蝦夷の人たちがヤマト王権の渡来人による松取りの犠牲になったのです。渡来人は、真実を隠して蝦夷の人たちを悪にして記録に残しました。征夷大将軍の坂上田村麻呂が、達谷窟を拠点としていた悪路王を討伐したという嘘の話を作りました。蝦夷は殺された上に悪者に仕立てられたのです。

 

東北の岩手の地は、純粋な光がある故に、暗闇にするために古くから先住民の蝦夷の松取り(松果体収穫)が行われて来ました。高館義経堂は、奥州藤原氏の居館で、源頼朝の要求に屈した藤原泰衡に襲撃され(衣川の戦い)、源義経が自害した場所として知られています。しかし、この話も真実を隠すために悲劇の美談として変えられています。

 

陸と海の松取り部隊であった武蔵坊弁慶と熊野水軍》にありますが、源義経と配下の武蔵坊弁慶は、源氏の松取り工作部隊だったのです。源氏と平氏の戦いである源平合戦が源氏の勝利で終わり、裏の松取りの目的としての戦の機会がなくなりました。異母兄弟である源頼朝と源義経は、仲違いをしたと見せて、義経追討を大義として東北の地で松取りのための戦を起こしたのです。

 

武蔵坊弁慶は、平安時代末期の僧衆(僧兵)で源義経の郎党です。「義経記」では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われます。元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされます。弁慶ゆかりの地は、京都府京都市、茨城県つくば市、長野県佐久市、神奈川県藤沢市、北海道江差町、北海道岩内町など各地にあります。

 

この平泉の地にも「弁慶の墓」があります。数本の松が墓石を囲むように立っており、その中心の松樹が「弁慶松」と伝えられています。松の木の「松」は「松取り」を示唆する証です。日本各地に弁慶ゆかりの跡が残されているのは、その地で松取りが行われた証であり、後世、真実を紐解くためのヒントが置かれたと感じています。「○」は、禅の円相に由来していると感じます。

 

僧兵は、サンカであり、天台宗、臨済宗、曹洞宗などの禅宗の寺院が起源です。禅宗は、中国の影響を強く受けた日本の仏教宗派です。《曹洞宗大本山の永平寺創建に関わった秦氏の末裔・波多野義重》にありますが、「禅」の概念的象徴の1つが「円相」で、「」を筆で描いた図です。「」は、朝鮮半島からの渡来人の和邇氏の「和()」に通じています。

 

「〇」「丸」は、囲うこと、所有であり、支配を意味します。松取りの「松」を自分の物にするという意図だと感じます。平泉の地に南部鉄器が生まれたのは、松取りの遺体を消して証拠隠滅のために火が必要だったからです。過去のワークから、兵庫県宍粟市、島根県広瀬町、岩手県一関市など松取りとたたら製鉄がセットになっていることが分かっています。

 

金儲けのために人命を奪い、真実を隠蔽するという深い闇としての火のエネルギーとなり、火を用いた鉄製品が闇を広げることになります。南部鉄器は、藤原清衡が近江国(滋賀県)より鋳物師を招いて始めたとされます。奥州藤原氏が栄華を極めたのは松利権を有していたからです。純粋な東北の地が隠された金の闇で覆われたことを南部鉄器は物語っていると感じます。