大坂なおみ選手の全仏オープンでの会見拒否とその後のうつ状態の告白については、違和感を抱いていました。6月2日の東スポの記事《伊メディアが大坂なおみの行動に疑問視「はじめにそう言えばよかった」》には、私が感じていたことをそのまま記事で伝えています。最初に会見拒否を宣言して、その理由を後から告白しているのです。それもうつ状態という弱者であることを理由にしています。
この手法は、同和の工作のやり方なのです。簡単に言えば、ズルいやり方です。イタリアメディアのレプリカは、「うつ病を告白した大坂の立場は尊重されるべきだが、はじめにそう言えばよかった。彼女は、メディアが精神衛生上よくない質問をすると非難するのではなく、なぜこのことを言わなかったのか?我々メディアも完璧ではないが、精神科へ行くような質問は聞いたことがない」と伝えています。
私が大坂なおみ選手を怪しいと思い始めたのは、黒人差別抗議活動へ熱心に取り組んでおり、2020年にBLMが盛り上がると賛同する言動をしていた時からです。2020年のウエスタン・アンド・サザン・オープンでは大会期間中に起きた黒人襲撃事件に抗議する意思を込めて準決勝を棄権すると発表しました。続く全米オープンでは着用しているマスクに過去の犠牲者の名前を記したことでも大きな話題となりました。
2020年のBLM(ブラック・ライブズ・マター)は、過去のワークからDSの背後のロスチャイルドが操る工作活動だと分かっていました。差別反対を声高に抗議して、実は差別を助長しているのです。古典的な日本の同和団体と同じ手法を取っています。被差別集団が弱者の立場で差別を利用して経済的な利益を得るためのやり方です。多くのアイヌ民族団体も、弱者を利用して利益を得る同和利権の集団と化しています。
また、賛成・反対の2つの勢力を戦わせることで、実質的に真実を隠蔽する効果もあります。《新ニュルンベルグ裁判がヒントとなった新型コロナの真実隠蔽のための対立工作》に記していますが、利益のために対立構図を作って本質から大衆の目をそらすという対立工作の手法です。大坂なおみ選手は、今後について「今はコートから少し離れます」と語っており、休養することを示唆しています。
大坂なおみ選手は、実質的に工作員の役割を担っていたと見ています。大坂なおみ選手に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ロメかもしれない」と伴侶が伝えて来ました。フェードアウトして行き、表舞台から姿を消していく可能性もあると感じます。ただし、大坂なおみ選手の全仏会見拒否の行動は、プロテニス界における金の支配の闇に一石を投じたことは間違いないと思います。
また、大坂なおみ選手の家族やルーツの情報収集をしていきました。《ウサKICHIの冒険》には、大坂なおみ選手の両親についての情報が掲載されています。大坂なおみ選手は大阪府出身で、3歳のころにアメリカにわたり、テニスを始めました。父親のレオナルド・フランソワはハイチ系アメリカ人です。アメリカ合衆国のニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、13年間日本に在住しました。
アメリカンフットボールやバスケットボールの経験があり、「International Outreach Association」という非営利団体で働きながら、娘の大坂なおみ選手にテニスを教えていたようです。「International Outreach Association」の公式サイトの活動内容を観ると感覚的には、同和の団体と推察します。大坂なおみ選手の母親・大坂環は、北海道根室市出身の日本人で若いころスピードスケートの選手だったといいます。
札幌市で出会った両親は、その後大阪市に転居し、父親は市内で大手語学学校の英語講師をしていました。私が注目した大坂なおみ選手の母方の祖父と曾祖母です。母方の祖父・大坂鉄夫は1945年に勇留島(ゆりとう)で生まれ、根室漁業協同組合の組合長をしています。大坂の母方の曾祖母は「勇留島に萱草の花が咲く頃」の著者の大坂みつよです。
《RESO NOTE》には、大坂なおみ選手の母方の祖父が豪邸に居住していることが書かれています。デイリー新潮の記事《「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土》には、曾祖母の自伝「勇留島に萱草(かんぞう)の花が咲く頃」の内容が掲載されています。『彼女の実家はもともと根室で雑貨店を営んでいたが倒産し、家財道具に赤い紙を貼られて差し押さえられ、
一家は逃げるように勇留島に移住する。1921年のことだった。こうした苦しい暮らしをしながらも、 〈あの赤紙事件(注・差し押さえのこと)以来私の気持の中には「今に見ておれ、きっと仇をとってやる」というきもちがずーっとあった〉』とあります。かなりの執念深さと強さを感じます。大坂なおみ選手の母方の祖父と曾祖母に光を降ろすと「北海道の同和の長」「同和」と伝えられました。(つづく)