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遊水地のある鍋島松濤公園の前身の茶園 「松濤園」の所有者は、肥前佐賀藩11(最後の)藩主の鍋島直大(1846-1921)です。鍋島直大は、岩倉使節団としてアメリカに留学し、そのごイギリスに留学中の明治9年に、東京府の渋谷町大山の紀州藩徳川家下屋敷を買い、維新で失職した武士を集めて茶園「松濤園」を開き、これが現在の松濤や鍋島松濤公園の由来となります。

 

肥前佐賀藩は、鍋島直大の父・鍋島直正の代から蘭学というオランダからの西洋科学技術の導入を率先して来た藩です。不治の病であった天然痘の予防接種の種痘の導入や大砲などの武器を製造するための反射炉を建造しました。佐賀藩(1850)、薩摩藩(1852)、伊豆韮山(1853)の順で反射炉が作られたことが分かっています。種痘や反射炉は松取り(松果体収穫)の工作と関係しています。

 

自分も過去世で鍋島直正に深い縁があったと感じています。九州の佐賀藩は、オランダから教授された松取り工作活動の中心的な存在でした。鍋島直大の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伴侶が伝えて来ました。やはり、日本を暗闇にするための役割を担っていました。次に、ハチ公から感じたエジプト神話の「アヌビス」について探求することにしました。

 

エジプトは太陽信仰の源流の文明であり、それは宗教の支配の闇に繋がります。《万能薬として食されたミイラと工作の闇の原点としてのエジプト》の記事やこれまでのワークからエジプトの闇は、松取りを隠すための工作の闇であると感じています。ピラミッドは、松取りを行って水を封じるための密室の施設であり、ミイラは、松取りの真実を隠蔽するための宗教的工作だと推測しています。

 

アヌビスは、エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていた「ミイラづくりの神」で、犬またはジャッカルの頭部を持つ半獣もしくはジャッカルそのものの姿で描かれました。《狼信仰~妙見信仰~》には、『「復活の女神イシスが持つ手斧が北斗七星、ミイラ作りの助手は山犬の頭を持つ神アヌビス」「イシスさんは山犬の神を従えた女神なのです」「日本の神社の狛犬は、エジプト起源だという説もあるくらい」』とあります。

 

イシスは、山犬の神のアヌビスを従えた神とされます。日本の神社の狛犬は、エジプトの起源であり、アヌビスから来ていると感じます。「イシス-アヌビス」の関係は、「伊都能売(伊豆能売:いずのめ)-(オオカミ)」の関係と同じだと見ています。秩父の地を開く役割のクライアントの方のセッションの中で分かりました。クライアントの姉の中から過去世でオオカミを使役して松取りをしていた女神が光に還って行きました。

 

クライアントの方の過去世は、秩父の山々で、野生のオオカミと仲良く平和に暮らしていました。姉の過去世は、オオカミを先住民の狩をする松取りのために使役していた女神でした。この女神が「伊都能売(伊豆能売)」です。この時の先住民は、半人半霊のエネルギー体のように感じます。また、過去のヒプノセラピーの《「秩父の山で光の存在を封印していた」》で紫のオオカミが出て来ました。

 

秩父の山で修験者として紫のオオカミに狩をさせて光を封じていたといいます。秩父の三峯神社の狛犬はオオカミです。秩父の地の関連で、クライアントの方と私で日本百観音の西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の札所の寺院に光を降ろす機会がありました。《伊都能売(いづのめ)=両性具有》から、どうやら「観音」=「伊都能売」であると分かりました。

 

『伊都能売神こそは、男女両性具有であって、出口王仁三郎の云うところの厳(いづ)と瑞(みづ)の合体形なのである。こうした伊都能売神を出口王仁三郎は、慈悲の本源であり、愛の神であるとする。更に伊都能売神こそが、またの名を観世音・観音といい、木花咲耶姫命ともいう』と記されています。ワニの宇宙人が起源の和邇氏は男女に成りすませる男女両性具有であり、伊豆能売がワニの宇宙人に繋がります。

 

ワークから大本教の出口王仁三郎は、プレアデスのワニの宇宙人であることが分かっています。松取りの女神である伊都能売は、ワニの宇宙人が変身していたと感じます。犬の源流であるオオカミは、レプタリアンの変身の可能性を感じます。過去のワークで猫はドラコニアンであることが分かっています。ワニの宇宙人は、レプタリアン・ドラコニアンのピラミッドの頂点に位置するラスボス的な闇の宇宙人です。

 

奇跡を起こすことが出来る霊力を有し、神仏に化ける変身が得意で、裏の松取りのために宗教の支配を司ります。アヌビスは、女神のイシスの使徒であった存在ですが、「ミイラづくりの神」に祭り上げられたように感じます。犬のハチが渋谷のシンボルとしての忠犬ハチ公に祭上げられたのと同じです。エジプトの工作の闇は、真実を隠し、命を金に換える深い闇として今に受け継がれて来たのです。(おわり)